特選「お替わりはいかが?」
〜ハワイ島紀行 (1999/1/3-1/10)〜


  1. はじめに
    ハワイ島旅行決定
  2. 出発〜現地第一日目
    JAL070便
    コナ空港
    カイルア・コナ
    ショッピング・夕食
  3. 現地第二日目
    島の北へ
  4. 現地第三日目
    溶岩に消えた町
  5. 現地第四日目
    魚がいっぱいのビーチ
  6. 現地第五日目
    ボルケーノ
  7. 現地第六日目
    再び魚とこんにちは
  8. 現地第七日目
    さよならビッグアイランド、ただいま東京

トップページへ戻る


1.はじめに

(1) ハワイ島旅行決定

 一昨年の夏はハネムーンの思い出が詰まったなつかしのマウイ島へ行った。昨年の夏は急に思い立ってサイパンへ行った。そして1999年は夏にまたどこかへ行くつもりであった。ある時、娘の友達で母親同士も仲良しである家族が、正月開けにハワイ島に行くという。当方も今年はどこにしようかと考えていたところであり、それなら一緒にハワイ島へ行けば、向こうはレンタカー代が安くなるし、こちらは足ができるし、子供も喜ぶというので一緒に行くことになった。母親同士、子供同士が仲良しであり行動を共にすると、ディメリットよりメリットのほうが大きいのである。

 決まったのはいいが、いつ行くか。正月の海外旅行なんてどこも目玉が飛び出る価格だと思われているが、実は日程を選べばそんなことはない。激安チケットも、ゾーンペックスと呼ばれる航空会社の正規割引運賃も、一般のツアー代金も年が開けた三日あたりの出発になるとがくんと値段が下がるのだ。年内出発で新年を海外で迎えようとするから馬鹿高な金額になるのである。そんなわけで私たちは、新年の一月三日出発、十日帰国の六泊八日の旅程を組んだ。日本からハワイ方面への子連れ旅行は、個人手配よりツアーのほうが何かと便利であるから、今回も自宅の近所のJTBのツアーにした。


2.出発〜現地第一日目

(2) JAL070便

 一月三日、午後三時三十二分発のJR成田エクスプレスに乗り一路成田へ向かう。昨年夏は京成スカイライナーを使ったが、やはり池袋から出るほうが楽である。この成田エクスプレスに乗ると成田空港第2ターミナルには夕方五時前に到着するのだ。ツアーの欠点の一つが待ち時間の多さである。今回もかなり時間があるので書店などを覗き込むが、まああたりまえのものしかない。これから米国にゆくというのに、割高な洋販経由で価格がU.S.$価格の倍以上になっているペーパーバックを買うのはばかばかしい。妻は例によって免税店を覗くが、どこの店にもクリニークのハッピーというフレグランスが無かったといってむくれていた。

 利用する便は成田二十一時丁度出発の日本航空70便で、ホノルルにはよらずにハワイ島のコナへ行く直行便である。JALのハワイ線はいわゆるリゾッチャ路線であるが、JAL70便は純粋のJALではなく、JAZ(ジャパン・エア・チャーターという日航系列の会社)のチャーター便の乗員である。JAZの方はフライト・アテンダントの方もほとんどがアジア系非日本人の方である。だからJALに乗ったはずなのにうまく日本語が通じないこともあったりして、JALなのに機内で英語を使わねばスムーズに話が通じない時もある。

 機内での私たちの席は49のH,J,Kである。この席は実はギャレーの真横なのである。日本を夜に出るJALのハワイ線は離陸後一時間ほどで食事が出るのだが、この食事が出しきるまでのギャレーはまさに戦場そのものである。狭い中にフライトアテンダント達が恐ろしくすばやく動いている。ギャレーを見ていてこれまで知らなかったことを発見した。まずは、キューブアイス。製氷機でもあるのかと思ったが、実はコンビニで売っている氷の袋の倍から三倍くらいのでかい袋に入ったのがドライアイスとともに積まれている。次の謎がコーヒーだ。ドリップ式であるのは明白だが、実は喫茶店のようにパイレックスのサーバーでいれているわけではない。市販のコーヒー豆の入った200g缶の三倍はあろうかというでかい缶を機械にセットして、レバーを力いっぱい引き下げると、密封状態の缶の上下に穴があいて、上からお湯が注がれ下からコーヒーが出てくる。新しく豆をセットするときは、そのでかい缶ごと取り外して新しいのに変えれば良いのだ。と、まあこんな具合に新発見もあるし、ギャレーの隣だから何かにつけ真っさきにサービスを受けることができて都合がよいのは事実だ。しかし、その分しょっちゅうがちゃがちゃと音がするのでうるさくて眠りにくいのが欠点だ。


(3) コナ空港

 成田を日本時間の午後九時(ハワイ時間で同日の午前二時)に出発して、コナ空港(ケアホレ空港)についたのはハワイ時間の午前八時丁度、つまり所要時間六時間でついたわけだ。随分速いようだが、この季節は西からの貿易風が強く吹くので、その程度でこれてしまうのだ。夏だと成田からホノルルまで早くてそのくらいかかり、そこからハワイ州内のインターアイランド路線で四十分ほどかかる(当然トランジットにもそれなりに時間がかかる)ので、一昨年はマウイに着いたの十一時近くであったように記憶している。

 私たちはツアーを使ったので、ここからがツアーの一番の難点の待ちが入る。なんだかんだで、説明や現地での書類などを渡されて、一時開放されたのが午前九時半だ。初日の昼食だけはついているのと、十二時近くにならないとチェックインできないことから、ホテル内や近所を散策して時間を潰し、その後昼食をとって部屋で着替えを始めたのが十二時近くだ。この昼食は宿である「キング・カメハメハ・コナ・ビーチ・ホテル」内のレストランで決まったメニューが出てくるが、これが例によって量が多いだけで、はっきいって不味い。ここで旨い物を出せば、ディナーにも客を呼べるのに、これではもう一度入ろうという気にはならない。ちなみに私たちが使ったツアーは「LOOK JTB」だが、JAL系のツアー「AVA」だと何故かもっと早くにチェックイン可能であるようだ。なぜそんなことを知っているかというと、今回共に旅をする知人が使ったのがAVAだからだ。


(4) カイルア・コナ

 私たちの宿泊先は「キング・カメハメハ・コナ・ビーチ・ホテル」で、ハワイ島の西側では最も大きな街であるカイルア・コナの中心部の近く桟橋の近くにたっており、ホテルの周囲にはショッピング(もちろんブランドものなどではない)や食事には最高のロケーションである。従ってホテルもどちらかと言えばシティホテルに近い感じで、大きなプールに広々としたプライベートビーチがあるようなリゾートホテルではない。

 この付近には特に小さな店土産物屋やレストランが数おおく並んでいる、アリイ・ドライブ添いに日暮れから散策したりウィンドウショッピングをするにはもってこいの場所だ。設備や宿代の「高さ」では、金持ち日本人が集中しているというヒルトン・ワイコロア・ビレッジなどのほうがはるかに上であろうが、この宿(キング・カメハメハ)はツインでルーム・チャージが百ドル半ば前後とロケーションを考えればかなり安い。何と言っても日本人宿泊率も低くあまりホテル内で日本人を見かけないのが嬉しい。

 ホテルは歴史があるホテルで古さは否めないが清掃は行きとどいている。


(5) ショッピング・夕食

 今回は知人と一緒で知人がドライバーとなる楽な旅である。まずは水などを買わねばならないし、様子見のため車でスーパー巡りである。ケアウホウ・ショッピング・センター、ウォール・マート、Kマート、リバティハウス、KTAストアと、女性と子供の希望で巡回する。いくらスーパーとはいえ、それぞれが日本のそれの何倍もの大きさがあるから、さすがにくたびれた。最後のKTAストアで飲料水やバドワイザーなどを仕入れて、宿に戻ったのが午後五時前だ。六時に食事にでかけることになったので、それまで私と娘は爆睡状態だが妻は平気らしい。

 夕食は、ホテルからアリイ・ドライブ添いに小さな店を覗きこみながら歩くこと数分で、お目当てのコナ・イン・レストランにつく。ソフトドリンク三人分(ティー)、クラムチャウダー三つ(これはとても美味)、シーフードパスタ、オノという白身魚の料理を食べて全部で60ドルちょっとであった。例によって量が多いので、取り皿(エクストラ・プレートと言えばよい)を一枚もらって娘にわけてやるくらいで、親も娘もちょうどよい。知人のほうは3ドルほどのフレンチフライを頼んだら、丼サイズの篭に山盛りなって出てきて閉口したようだ。アメリカでは単独でフレンチフライやオニオンリングなどのサイドディッシュの揚げ物を頼むと偉い目に会うことが多いのは知っておかねばならないのだ。忠告しようにも人数の関係で同じテーブルにはならなかったで時既に遅かった。


3.現地第二日目

(6) 島の北へ

 今日の予定は島の北へのドライブである。そのまえに腹ごしらえをせねばならぬと、ガイドブックにあるサム・チョイズ・レストランへ行く。なかなか場所がわからなくて、やっとみつけたのはなんだか倉庫みたいな建物であり、日本人は入りそうもなく地元の人御用達のような店なのは好適である。ここでスパム(SPAM)のライス添えのようなものを食する。味は悪くないが量が多くて満腹になる。スパムが塩辛いものだから、ライスとよくあって思わず食が進んでしまうところは日本人の味覚だろう。腹が減っているときなどはこの店は安くて美味いのでおすすめだ。

 腹こしらえも済んで、知人の運転する車は北へ北へとすすみ、270号線の終点ポロル渓谷(POLOLU VALLEY)へむかう。所要時間は一時間ちょっとくらいだろう。眺望は非常に良くサイパンのバンザイクリフによく似ている。目前には太平洋が大きく広がり切り立った崖がそびえ立っている。このような光景が初めてならば感激するのだろうが、何せ半年前にサイパンのそれをみたばかりで、緑はサイパンのほうが圧倒的に多いので、残念ながらバンザイクリフのほうがかなり美しいと言える。ここからコナ方面に戻る途中にカメハメハ大王一世のオリジナル像がある。現地のおじいさんの説明によれば、カメハメハ大王の像はオアフにもあるが、あれはオリジナルのコピーなのだそうだ。

 ここから、さらに南に進むと、途中にラパカヒ州立歴史公園(LAPAKAHI STATE HISTORICAL PARK)があり、そのさらに南にはプウコハラ・ヘイアウ国立歴史公園(PU'UKOHALA HEIAU NATIONAL HISTORICAL PARK)と、太古のハワイを物語る遺跡があり自由に見学できる。入り口を始め随所には赤い文字の注意書きがあり、ここは教育のための場所でありレクレーション施設ではない、釣りはいけない、ラジカセなどもいけない、とにかくあれがいけないこれがいけないと日本人顔負けの細かな注意である。しかし、それでも細かな人工ごみは皆無といってよく、このあたりは日本と違うだろう。日本だとどこへいっても空き缶や吸い殻をみかけるのだが、そもそも吸い殻のポイ捨てなどが見られないのはうれしい。

 これらの歴史公園を真っ昼間に歩いていると、いくら一月のハワイとはいえさすがに暑い。しかし店の中やホテルは恐ろしいくらいに冷房が効いている事が多いし、夜や朝は結構涼しくなる。やはり常夏のハワイとはいえ、一月の今のほうが夏場よりは朝晩は冷えるようだ。

 おそい昼食は帰路途中のカワハエにあるカフェ・ペスト(CAFEPEST、なんとホームページもあるようだ http://www.cafepest.com)でピザ(ロケラニ)を食べる。イーストを使ってパン生地のようにしたタイプのピザでさっぱりしていてうまい。うまいが、何分にもサム・チョイズ・レストランでの朝食がまだ残っているような気がしてあまり食べられない。明日は早出の予定なので帰路にあるKTAストアで朝食を調達する。美味いと評判のKTAストアのポキというシーフード総菜をカウンター越しに量を指定して買い求める。

 ホテルへ戻って、まず夕食のレストランを電話で予約する。基本的にディナーで待たずに良い席を取ろうとおもえば、予約するのはディナーの常識である。予約無しで行って良い席をなんとか都合してもらおうとおもったら、チップをはずまなくてはいけなくなる。まずは夕食前に洗濯をしてしまいランドリーで洗濯を終わったのが七時すぎで丁度レストランの予約時間だ。先に予約したのはカイルア・コナのホテルそばのキング・カメハメハ・モール内の海上鮮酒家という店だが、ここは安い。春巻、海老のあげもの、海鮮焼きそば、特製チャーハンといった庶民メニューにしたが、けっこう安くてうまい。しかし、量はアメリカンサイズでまたもや超満腹状態となる。


4. 現地第三日目

(7) 溶岩に消えた町

 今日は朝が早いので、昨夜KTAストアで仕入れたアップルパイとタコのポキ(ポキとは魚介類をつかった惣菜の一種)を食べる。このアップルパイ、でかいリンゴがたくさん入っていてこれはかなりの美味である。やはりアメリカで外れが少ないの食品の一つはパイであろう。タコのポキもうまいのだが、朝っぱらからタコをたくさん食べる気にもならなかった。やはりマグロ(ハワイ語ではアヒという)を使ったアヒ・ポキのほうが数段うまい。

 食事をしている合間に、フロントで小銭に両替して昨夜妻が手で洗濯した下着をランドリーのドライヤーで乾かしにゆく。すると米国人のおじさんが洗剤自動販売機の前で困った顔をしているので、どうかしたのか?と声をかけると50セントをいれて洗剤パックは出てきたのだが、途中でパックがひっかかって出てこないという。貴方の手は小さそうなので取れないか、というから試してしてみたら楽に取れた。毎回来る度に思うことだが、自動販売機に関する限りは治安が良くニーズも多い日本のそれのほうがはるかに進んでいる。

 さて、今日は朝八時にホテルを出てヒロの方に向かい、さらにそのさきの道路が溶岩でふさがれている場所まで行く予定だ。予定所要ドライブ時間は途中の寄り道を含めて片道三時間ちょっとだ。

 カイルア・コナを出て190号線を走ること三十分少々でパーカー牧場という大きな牧場の中を道路が抜けて行くが、この牧場を抜けるのに時速55マイルの速度で半時間もかかる。ところどころで牛がのんびりと草を食べているが、その草もこのあたりでは雨が少なく、まだ茶色っぽいものが多い。この道路はほとんど制限速度55マイルなのだが、道幅がおそろしく狭い。片道一車線で車線幅も広くないから、結構恐いものがある。

 牧場を抜けてすぐのワイメアでトイレ休憩だ。標高約750メートルほどの街。そしてまた延々走りつづけようやくヒロの街へたどりつく。ここをさらに抜け、1990年のキラウェア火山の噴火の溶岩に埋もれて消滅したカラパナの跡へゆく。ここは島の南東部にあたる。島の西側は乾燥した気候であるが、東側は雨も多く木がおい茂っている。一つの島なのに東と西、北と南ではぜんぜん風景が違うし気候も違うのがビッグアイランドの特徴だ。

 この道路(130号線、137号線)は途中で溶岩流により道路が無くなっていて、通行禁止となっており、その道路がとぎれた場所には駐車場と土産物屋、そして軽い飲食ができる店がつくってある。日本人向けツアーバスがとまっていたので、やたら日本人だらけになるが、そのバスが出ると日本人は我々だけになり、代わりに米国人観光客がポツリポツリとやってくる。

 車を降りて南のほうにゆくと、今は冷えた溶岩の黒々とした岩の上を歩いて海岸まででることができる。その海岸も溶岩が砕けたものらしく黒い砂なのである。いわゆる黒砂海岸だ。この溶岩の光景は日本で言えば伊豆大島の三原山山麓に近いといってよい。あそこもかなり広大な風景だがここもかなりすごい。

 かたまった溶岩見学のあと、マウナロア・マカダミア・ナッツの農園&工場に立ち寄る。このビジターセンターはたいしたものが無いというか土産物屋しかないといってもよい。しかし新製品のマウイ・オニオン・ガーリック・フレーバーのマカダミア・ナッツを試食したら結構美味いので、一ダースの箱入りで購入した。これがなかなかよくて思わずビールが欲しくなる。日本ではブルーの缶の塩味のものしか見かけないから土産物としては良いだろう。

 このあとヒロ市内へ戻り昼食をとる。ケンズ・ハウス・パンケーキという店だ。私と娘はハワイ名物サイミンをおいしくいただき、妻はプレーンオムレツとハッシュドポテトとパンケーキのセットだ。サイミンはどこで食べてもそんな膨大な量ではないことを私は知っているので良いのだが、妻のほうは例によって例の量だ。日本だと残すのはよくないが、ここでは残すことも覚えなくてはならぬ。

 昼食をすませて、ビッグ・アイランド・キャンディーズというところで土産の菓子を購入。世界広しといえど、ここの店でしか売っていないというものが多く、それを土産に購入した。聞くところでは、オアフ勤務のJTB職員の人が、同僚がハワイ島のヒロへ行くと聞きつけると、購入を頼むという代物らしい。試食すると確かにクッキーもチョコもかなりの美味なのである。英会話学校の先生への土産もここで調達した。米国本土(U.S.MAINLAND)でも店舗では買えない代物なのである。

 このあとは、ひたすら車は三時間ほど爆走。子供達は爆睡。ホテルに戻ったあと夕食はホテルの近くのシズラーというセルフサービス版ステーキハウスみたいなところでとった。このシステムが最初はわからなかったのだが、列に並んでオーダーし、その先で飲み物などを受け取り自分で好きな席まで行く。しばらくするとウェイターがやってきて札を取って行く。そしてそれに対応する料理をテーブルまで運んできてくれるわけだ。一応テーブルサービスがあるから少な目でもチップは必要だろう。

 どうも、このコナの町は日本人客にはサービスチャージを上乗せしてくる店が多い。このセミセルフの店は日本人客には最後に小さな皿に、「チップは含まれておりません」とか書いた紙と、つまようじと、キャンディーをもってくる(逆に言えばそれだけチップを無視する日本人が多いということだろう)。実に嫌みったらしいシステムであるが、裏を返せばチップ制度をなかなか理解できない日本人観光客が多いのだろう。かくいう知人の方も毎度毎度チップで悩んでいるようだった。


5.現地第四日目

(8) 魚がいっぱいのビーチ

 昨日は遠出をしたので今日はカイルア・こなの近場でゆっくり過ごす予定だ。朝食は、ホテルから歩いて数分のところにあるウォーター・フロント・ロウ内のレストラン「ジョリー・ロジャー」でとる。ここでは子供は十歳以下だというと(日本人は若く見えるしまして娘はクラスでもトップクラスのチビであるし、知人の子供の一人は九歳であった)キッズ・メニューが出てきて、キッズのブレックファストは$2.99で、トースト、スクランブルエッグ、ソーセージ、飲み物付きとお安く量も手頃である。大人のほうも同じくブレックファストで軽く食事である。朝から満腹というのは勘弁して欲しいので、ここは丁度良く従業員も態度が良いし、眺めも抜群で気持ち良い朝を迎えることができるおすすめの朝食ポイントである。ブレックファストメニューから選べば量は日本のホテルの軽い朝食に近いといえば理解できるだろうか。

 朝食後は、道路の向かいの空き地に朝市のようなものがたっているので、そちらをみて回る。こういうところでは値切るのがあたりまえだが、よくみているとアメリカ人でも値切る人もいれば、ねぎらずにそのままの人もいる。別に日本人だけが言い値で買うわけじゃないようだ。ここでも現地の人との会話が苦手ということなのか、日本人はほとんどいない(私にはそのほうがうれしい)。結局特に買いたいものもみあたらず、ここはぶらぶらして終わりとなったが、知人の奥様のほうは木製の写真たてを値切らずに購入していたようだ。

 それからホテルに戻って車に乗って、ちょっと南に向かった。11号線を走って、プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園(PU'UHONUA O HONAUNAU NATIONAL HISTORICAL PARK)へ行く。ここは入場料がかかって、大人は一人2ドル、子供は無料である。基本的には一昨日同様原住民の遺跡があるだけであるが、ハワイアンのおじさんが昔ながらの格好をしてカヌーを削ってた。珍しい光景なのでそのおじさんの許可をもらってデジタルカメラにおさめた。やはりここでも日本人はほとんどみかけない。ここのビジターセンターで面白い本を見つけた。"MARK TWAIN'S Letters from Hawaii"(Edited by A.Grove Day, Published by University of Hawaii Press)という本である。この本をTCで購入するとき、IDの提示を求められた。普段は当然パスポートなんか持ち歩かないから、パスポートコピーでよいかどうか尋ねるとそれでもよいという。コピーを提示するとパスポートサインとTCのサインを熱心に比べていた。さすがまじめな公務員といったところか。

 歴史公園を出て、キャプテンクックが最後をとげたという場所の近くまで行くが、記念碑のところまで行けるわけではないので、ここはすぐに出発。ケアウホウ・ショッピング・ビレッジ内の「ドライスデール2」という店で昼食タイムである。家族でタコスとツナサンドとパンチを注文。パンチとツナサンドは美味でありツナが山のように挟んであって美味しいが、タコスはたいしたことはない。

 さて、食事の後はいよいよお魚とビーチで「こんにちは」ができるカハルウ・ビーチ(KAHALU'U BEACH)にて泳ぐというかシュノーケリングである。ここは日本人は私が行った時にはほとんどいなかった。ビーチには一応無料シャワーもあるし、水もかなりきれいで入り江になっているので波も穏やか、岸のすぐ側まで魚がきているのである。ここで現地調達したマスクとシュノーケル、娘はゴーグルを付けて、簡易水中カメラで魚立ちをぱちりぱちりとやり満足、満足。

 夕食は、朝のうちに見つけて予約しておいたレストランで食事だ。店の名前は"THE CHART HOUSE"。私の持っているガイドブックにはのっていなくて、私が行ったときも日本人は皆無であったが、米国人では大いに賑わっていた。何せ思いつきで雰囲気だけで予約した店だから、何がおいしいのかさっぱりわからない。今日のおすすめを聞いてみると、オファという魚と何とかという魚(失念)で、特にオファがおすすめだというので、妻と私はそちらをディナーで注文する。子供にはキッズメニューがあり照り焼きチキンを注文(実はこれが結構うまい)。オファもチキンも結構おいしくて、席も一番海側の気持ちの良い席で大いに満足である。ここはシーサイドテーブルを予約しておくと良いだろう。


6. 現地第五日目

(9) ボルケーノ

今日は、いよいよハワイ島のハイライト、キラウェア火山、ボルケーノ国立公園(VOLCANO NATIONAL PARK)である。

 キング・カメハメハ・コナ・ビーチ・ホテルのあるカイルア・コナから11号線を南へ下ること車で約二時間半ほど走るとボルケーノである。途中小さな町がいくつかあるが、あっというまに通りすぎてしまう。相変わらず道幅は狭く路肩も狭いのに速度制限はカーブなどでは35マイル(時速56km/h)、普通は55マイル(時速88km/h)と日本では考えられない。だが、日本のようにやたら低い速度制限をかけて、けっきょく誰もそれをまもらないで、40km/hのところをみなが60km/hで走るようなことは、少なくともここではあまり見られないので、オウンリスクでの現実路線といったところだろうか。

 さて、ボルケーノ国立公園に到着すると、車のゲートで入場料10ドルを支払う。そしてそのままキラウェア火山の外周道路(CRATER RIM DRIVE)を一周する。一口に一周といっても、途中小さな博物館や、景色を見たり、車から出てカルデラを歩いたりしていると楽に一時間以上はかかる。一番大きなカルデラは直径が1600m、深さは410mというとんでもない巨大なもので想像をはるかに超える大きさだ。

 ここは随所に見所はある、溶岩でできたトンネル(LAVA TUBE)というのもあり、ここは車を降りて歩いてあるいて入って行くのだが、なかなかのおもむきである。火口近辺の死の世界から、一瞬にしてカウアイ島のように熱帯雨林のような光景に急変するのがすごい。それでも人間が住み始めて1500年をへて、その熱帯雨林もだいぶ縮小し、絶滅した鳥もいるそうだ。

 一般のツアーだとおそらくこの外周道路(CRATER RIM DRIVE)だけで終わるのだろうが、実は火山から一気に海のほうまで道路(CHAIN OF CRATERS ROAD)を降りることができる。距離にして20数マイルを走り一気に1200m以上を下ると、溶岩流が海に流れ落ちたところに出て、その上を歩くことがでる。ここから山の方を見ると、溶岩が流れたところは黒々とした粘度の高い溶岩が冷えて固まっているが、溶岩から逃れた部分は緑が残っており、黒と緑のコントラストが不思議な世界だ。地球上でもそうそうみられる光景ではないので目に焼きつけておく価値は十二分にある。おそらく一生で一度ここでしか見ることができい光景だ。

 車を降りて溶岩のほうに向かうと、水の携帯などを忘れないようになどの諸注意が大きく掲げられている。その側でちゃっかり水を売っていると思ったら、実はパークレンジャーの人で、1.5Lパックで$1.25とまあ場所を考えればかなり良心的である。これが民間の商売人だと$3.00とかはかたいであろう。ここで日本の日光へ行ったことがあるという米国人観光客としばらく話しをして、その場をあとにした。

 時刻はすでに四時すぎ。ここから二時間半ほどかけてカイルア・コナへ戻ったのが六時半。その後コナ・ランチ・ハウスで食事をする。私はシーフードのカレー(といっても日本のそれではなく、カレーシチューという感じだ)を食したがとても美味であり、量も手頃でこれは意外なおすすめメニューである。


7.現地第六日目

(10) 再び魚とこんにちは

 楽しい時間は経つのも速いであり、事実上は今日でハワイ島は最終日となってしまった。

 朝食は一昨日に行って気に入ったジョリーロジャーでとることにする。ここにかわいい猫がいて、一昨日私たちが座った席の近くの植え込みで、つかずはなれず私たちを身守っていたのだ。今日案内されたのも一昨日と同じ席で、やはり猫がいた。ウェイトレスに聞いてみると、名前は店の名前からとって「JR」というのだそうだ。やはり今日もつかず離れずで私たちの側にいる。ここは量も値段も手頃でおすすめ朝食ポイントだ。

 朝食の後は最後のスーパーめぐりだ。ここで買いそびれていた土産を妻たちは調達するのだ。まず最初にウォールマートへ行くが。私は特に買うものが無いので、書籍売り場やコンピュータソフト売り場を見ていたら、現地の米国人が、"Norton Anti Virus"と"Virus Scan"をもって私の顔をみて、どちらがいいか聞いてきた。 しばらくいろいろ話した後、私なら少し値段が高いけどNAVを買うというと、彼は妻と相談すると言って去って行った。どこの国でも事情は同じ、財布を握っているのは奥様のようだ。

 このあと、さらにKマートとリバテイハウスを訪れた。相変わらず私にはかうものはない。しかし、リバティハウスの寝具売り場でダウンピローの安売りを発見。ポロ・ラルフローレンのブランドで、通常だと$80前後のものが、$49.99とお安い。このタイプは日本では購入不可能のうえ、仮に売っていても二万円ちかくすると推定されるので、まよったあげく、ぐいっと押さえればかなり小さくなることを確認して購入した。ハワイまで来てピローを買うかという話しがあるが、ハワイ(アメリカ本土でもよい)へきたからこそ、日本では買えないものを買うのだ。

 昼飯は、ホテル近くのコナ・ミックス・プレートで地元料理である、サイミンとロコモコ(御飯+ハンバーグ+目玉焼き+グレービーソース)とフルーツパンチだ。どれも結構おいしくて安くて大満足。特にサイミンはヒロのケンズ・ハウス・パンケーキのそれよりここのほうが量は少ないが美味であった。カイルア・コナでサイミンを食べたければ、安くて美味しい、持ち帰りも可能なコナ・ミックスプレートがおすすめだ。

 午後から一昨日の浜へ泳ぎに出かける。今日は少し波があるため本当の岸間近には魚は少ないけど、ちょっと先へ行けば魚はたくさんいるので写真をパチリパチリ。連れの御主人が幸運にも二度も海がめをみつけたといって大騒ぎである。彼は娘達から一月早々一年の幸運の四分の三を使い果たしたといってからかわれていた。ちなみに彼らはまだついていて、帰りは座席割宛ての関係か、偶然にも無料でエクゼクティブクラスに昇格したのだが、これで彼らは今年一年の幸運を使い果たしたことになるのかもしれない。どうか、彼らが今年一年無事で過ごせますように。

 早めに海からあがり部屋へ戻ってシャワーを浴びて、予約しておいたレストランのハゴスへ。ちゃんとシーサイドテーブルを予約したので、テーブルはベストロケーションである。連れは昨年にきたときは予約などまったくしなかったらしく、隅のほうのあまりよくないテーブルだったそうだ。テーブル予約が五時半で日没が六時すぎなので、コナ・サンセットを期待したのだが、この時期のハワイは雨季、水平線の雲が邪魔でみることができなかったのは残念である。まあ、それでも家族や連れ全員に怪我などなかったのが幸運と思うべきだろう。

 ディナーのほうは、クラムチャウダー(私たち家族はこれが大好きで、この滞在で三度目のクラムチャウダーだ)、シーフードプラター(日本流に言えば、刺身の盛りあわせに近く、マグロ、カツオのたたき、エビ、アヒ・ポキそれに、ロブスターである。どれも結構美味でテーブルロケーションもよくまたもや大満足。三人で100ドルちょいと安くはないがそれだけの価値はある。このハゴスには是非日没三十分前くらいにシーサイドテーブルを予約をして行って欲しい。日没時間が知りたければ現地の新聞を50セントか75セントで街頭でかえば天気予報欄にのっている。


7.現地第七日目

(11) さよならビッグアイランド、ただいま東京

 いよいよ、ハワイ島を後にする日が来た。朝は六時半におきて部屋で、U.S.NISSINのカップヌードルチキンフレーバーやU.S.マルチャンのカップワンタン・チキンフレーバー、りんご、カットパインなどで軽い朝食をすませた。このカップ麺のたぐいのチキンフレーバーはさっぱりしていて結構美味なので、来るたびに一度は食している。湯が入手できるならば、朝食を簡単に済ませたいという時にぴったりである。カップラーメンが好きな人なら絶対にはずれのないインスタント食品であるが、ビーフフレーバーはちょっと癖があるので要注意だ。

 ホテルのチェックアウトを済ませ(ホテルからヒロのコンピュサーブへのアクセスは一回75セントの通話料金とホテルのチャージか加算されて高い)、九時十五分頃ホテルをあとにした。時の経つのは速いものである、信じたくはないが、もう帰国なのである。

 帰りのエアーはホノルル乗り継ぎである。ホノルルまでは十時二十分のアロハ航空231便。これでホノルルについたのが午前十一時、インターアイランドのターミナルから、国際線ターミナルへ延々歩くのだが、これが結構な距離がある。直通(スルー)で帰ると、ここで荷物の引き取りはしなくてよいから、荷物のピックアップをする人たちの後をくっついていってはいけない。インターアイランドターミナルから二階のまま国際線ターミナルへ行かねばならない。間違って一旦下におりてしまうとちょっと面倒だ。しかし、その二階のまま国際線ターミナルにゆく通路がわかりにくい。普通にゆくとどこへいってもエスカレーターで下に降りてしまいそうになる。仕方なくて近くの係員に道を尋ねた次第だ。だが、もう大丈夫、ホノルル国際空港は大分勝手が分かってきた。

 JALのカウンターでチェックインして、セキュリティチェックを抜けるとあとは搭乗するだけである。ロビー売店で"MICHAEL CRITCHTON"の"AIRFRAME"のペーパーバックを購入する。

 帰国便はJAL79便。機内での映画は、見たかった「アルマゲドン」であり大変ラッキーである。帰りの八時間半のフライトのうち二時間はこれでつぶれた。しかし、マウイの時同様相変わらずジャパニーズの不愉快な振る舞いが目につく。空港内でくわえ煙草で灰を巻き散らしながら歩く馬鹿、後ろの座席に配慮なく狭いエコノミーシートで思いっきり背を倒す間抜け常識知らずの家族ども、毎回思うことだがとにかくこいつらのような馬鹿どもと同胞であることが悲しい。私は自身や家族にはそういった公共の場でのマナーや配慮には特にうるさいので余計に気になるのだ。そういう意味ではハワイ島にせよ、マウイ島にせよサイパン島にせよとても心が落ち着く。

 今年は、早々に海外旅行をしたから、つぎの海外旅行は勤続休暇と夏休みをあわせてゆっくり休める来年夏であろう。西海岸からマウイを回って帰るか、あるいは二週間とか三週間ほどマウイで過ごすか。一年ほど考える時間はある。次回が楽しみだ。


トップページへ戻る


Copyright (C) 1996-1999, あいちゃん, All rights reserved.
筆者に無断でこのホームページの全部もしくは一部を転載、複写、再配布することを堅く禁止します。