「お替わりはいかが? 〜1502〜」

1999.08.14 (Sat) ==========================

□ この道はいつか来た道

 国旗国歌法案が成立し、そして通信傍受法案も成立しようとしている(ちな
みにこれを書いているのは11日の水曜日だから、会期末となる13日の時点でど
うなっているかはまだ予断を許さない状況だ)し、それにガイドライン法案だ。
偶然にせよ意図的なものにせよ、この三種の神器が同時に法律となろうとして
いることに、非常に危惧を覚えるのは私だけではあるまい。

 自分が生まれた国を愛し守り育て、そしてそれらを象徴する国歌や国旗に敬
意を払うのは別に不思議なことではなく、ある意味ではあたりまえともいえる
ことだ。だが、同時に国家を構成する国民の多様性を認め、少数意見を尊重す
るなら、学校などの行事においても国家を歌わない自由もあるはずだ。しかし
法案が成立したとたんに野中官房長官は手のひらを返して強気の発言に出た。
どうも政府は国民全員が一人残らず君が代を斉唱し日章旗にこうべをたれる姿
を夢見ているのではないだろうか。そんな疑念すら浮かんでくる。

 日本という国は、昔から多様性を認めたり少数派の意見を尊重することが苦
手のようだ。どうも他人と異なるという状態に不安を覚えるのか、本質的に自
分がどう考えているかは重視せずとりあえず他人が向く方向に向いているのが
楽だとかんがえるらしい。原宿あたりを歩く若者の服装は一見奇抜で独創的な
ようだが、しばらく見ていると彼ら若者同士は同じような格好をしていること
に気づく。日本に住む多くの人は、見た目はみな同じような肌の色で、訛りは
あるにせよ同じ日本語を話し、ほぼ同じような瞳の色や髪の色をしている。ま
た学校の教育システムや親や教師の教育姿勢から少数派を尊重し物事の多様性
に対する理解を持つということがまるでできていない。

 さらに、お上の意向というものには無条件に逆らわないという面も多いよう
に思う。これは個人だけではなく、企業においてもそうである。見方を返れば
役人と企業は腐った馴れあい関係にあるといってもよい。そんな風だから役人
どもは図に乗ってくるのである。役人は国民のために存在するのであって、国
民を取り締まり制圧するために存在するための存在ではない。公僕という立派
な日本語を忘れないで欲しいものだ。このあたりをはき違えて自分には権限だ
けがあると盲信している馬鹿な役人が多すぎる。

 他人とことなる行動や発言・思想を恐れる、お上の威厳というものに逆らわ
ない、民族や思想・行動の多様性を容認しない、こうした傾向がこれまでの日
本を何度も危機にさらしてきた。昔とは世界情勢も違うし民主主義の思想も一
般に定着しているというがほんとうだろうか。誰が言ったか忘れたが「私は貴
方の考えには反対する、しかし貴方がその考えを主張する権利を私は守る」と
言う言葉があったように記憶している。今の日本の人に大切なのは、はっきり
と自分自身を主張することであり、同時に自分とは反対意見であっても他人が
主張する権利を容認し保護することではないか。

 このままでは、またいつかきた道だ。やがて国民全部が自衛隊に日章旗を振
り、天皇に代わって打ちたてられた何らかの偶像崇拝を強要される日は遠くな
いかもしれない。