「お替わりはいかが? 〜1634〜」

1999.12.24 (Fri) ==========================

□ 2000年問題 〜2〜

 2000年問題は1月1日だけのことではなく閏年問題というのもある。短
純に組まれたプログラムだと西暦が4で割り切れれば閏年としているが、実際
にはそれに加えて100で割り切れれば閏年では無くし、さらに加えて400
で割り切れれば閏年とするというのがある。だから西暦1900年は閏年では
なく、1996年は閏年で2000年も閏年なのである。思いきり短純に4年
に一度の閏年だけをみていれば2000年2月29日は無事にやってくるが、
半端に100年に一度だけ抜いていると2000年2月29日はやってこない
ことになり、2月29日付けデータが入力できなかったりしてしまう。だが、
これもやはりシステム設計者とプログラム設計者の無知と怠慢からくるものだ。

 いずれにせよコンピュータの2000年問題はそのソフトウェアの設計者の
無知と怠慢からくることに疑いは無いから、それらに対して対策をたてるのに
ユーザから金を取るなど私に言わせればとんでもない話しだ。契約上はどうあ
れ自分の無知からくる失策の始末を他人の金で行うというのはじつに嘆かわし
い。ソフトウェアエンジニアのプライドもへったくれもあったものではない。
たとえ金を取るのが会社の方針だとしても、そういう無知なエンジニアを雇用
したあるいは育成したのはその会社自身の責任であり顧客に転化するのは放漫
というものだ。

 そもそもコンピュータ業界というのは恐ろしくユーザ不在・ユーザ軽視の業
界である。ソフトウェアの使用許諾やソフトウェアの開発委託契約を仔細に見
ていただきたい。大抵はいかなる事があっても一切の責任は持たないという条
項がどこかにあるだろう。自分が作ったものに対して知らぬ存ぜぬを決めこも
うというわけだ。そして何か問題があるとユーザから金をとってそれを修正し
ようとするそれらのやり方は随分ヤクザな商売ではないか。

 米国では2000年問題に対する訴訟に関して一定の規制がなされるそうで
あるが、そんなことをする必要は無い。訴訟が殺到してソフトウェア業界が傾
くなら傾けばよい。そんな放漫な業界はなくなってしまったほうが幸せだ。

 そもそもソフトウェアは人が作るものであり、人が作る以上誤りがあるのは
致し方ない。しかし、2000年問題に関する限り、予期せぬ誤りではなく論
理的に明らかに予見できる危険であり、それを避ける対策を講じなかったのは
怠慢以外の何物でもない。

(続く)