札幌紀行 (No.417〜422 1996/08/24-08/29掲載)


前夜

 妻は独身時代に友人や家族と日本国内いろいろなところに行っているが、北海道だけはいったことがない。私は結婚以前は家族旅行などほとんどしていない……考えてみたら私(一人っこ)と両親での家族旅行なんて物心ついてから皆無である。父が公安関係の国家公務員でまとまった休みが思い通りに取るなんて不可能だった……ので、当然津軽海峡を越えたことなどはない。修学旅行で青森までは行ったが、そこから先は未知の世界である。そんな夫婦に娘を加えた三人が、明日(8/25)から札幌に遊びにゆくことになった。

 札幌と言えば大通り公園、大通り公園といえばとうもろこしだ。その大通り公園で焼きとうもろこしを食べるのが、実は昔からの夢だったのである。夢にしては随分スケールの小さな夢だが、焼きとうもろこしには特別の思い入れがある。

 私は幼い頃母方の祖父母といっしょに暮らしていた。その祖父母は私のことをとても可愛がってくれた。当然父母も一緒に暮らしていたわけだが、正直なところ幼い頃に父と遊んだとか、父や母と旅をした記憶がない。万一小学生のころ父が他界していたとしたら、父という存在自身を知らなかったもしれない(幸い父は年老いて体のあちこちにガタはきているが健在である)。父との思い出が小学校高学年以降にしかないのはちょっぴり残念である。

 さて、焼きとうもろこしに話を戻すが、私が幼い頃祖父がよく七輪で炭をおこし、とうもろこしを焼いてくれたのである。刷毛で醤油を塗りながら炭火で焼いたとうもろこしは、幼心にこの上なく美味であった。私にとって焼きとうもろこしは祖父の思い出なのだ。焼きとうもろこしなら、自宅で焼くとか、縁日で求めるとかすれば結構食べられるのだが、それはいけない。自分でも理由はわからないが、とにかく札幌の大通り公園の焼きとうもろこしなのである。絶対にこれでなくてはいけない。これ以外は焼きとうもろこしではないのだ。理屈や旨いまずいではない。

 一方妻のほうは、もっと素直で北海道では新鮮な北の海の幸を食べたいらしい。なかでも蟹が食べたいと贅沢をいっているが、まぁ我が家が北海道へ行くなんてめったにないから仕方あるまい。それに私だって海の幸には目がないから第賛成だ。娘は好物のラーメンと蟹が少々たべれれば満足だろう。家族の希望を合わせると焼きとうもろこしと蟹とラーメンを食べればよいことになる。今回、最大の楽しみはやはり食べ物だ。

 ともあれ焼きとうもろこしを求めて、いや家族と北の地で休暇をすごし、初めての土地を観光すべく明日ビッグバードから旅立つ。はたしてどうなることやら……。


第一日目

 八月二十四日の土曜日、東京はどんよりとした曇り空で、昼過ぎには大粒の雨が降り出す嫌な天気だった。どうも今年の旅は雨に縁があるようだ。白河では初日と三日目が雨だったし、秩父は例によって三時過ぎから夕立に見舞われた。妻と娘が行った箱根は大涌谷すこし降られたという。この調子で降られるのは嫌だが、天気予報を見ると東京はずっと晴れか曇り、札幌は二十八日が一時雨である他は天気は良さそうだ。

 いよいよ出発当日、東京は朝方結構涼しく、天気は薄曇りで暑くも寒くもない、絶好の旅行日和だ。練馬から営団地下鉄有楽町線で有楽町まで行く。そこからJR山手線で二駅目が浜松町、東京モノレールに乗ってようやく羽田空港だ。距離からいえばたいした距離ではないが、乗り換えが多く手間がかかる。練馬から有楽町まで一本で行け池袋乗り換えをしなくてもよいだけ救いがあるが面倒だ。これなら時間こそかかるが池袋からNEX(JRの成田エキスプレス)に乗って成田に行く方が楽かも知れない。

 羽田空港・ビッグバードを訪れるのは二度目だ。最初は知人と合うだけが目的だったから、ここから出発するのは始めてである。娘に展望デッキ「バードアイ」からみる飛行機達をみせてやりたくて最初に上までいった。前回私が来たときは乗客ではなかったから、思いきり旅心をそそられたが、今回はあと何十分かで機上の人となるのだ。黙っていても顔がほころんでくる。

 今回利用するのは、JAL511便で十一時五十分の出発だから丁度昼時を空の上で迎えることになる。大人はともかく娘は腹が減ったと騒ぐに違いないから、何か軽食をもとめる必要がある。スーパーシートなら軽食が出るがノーマルシートだから飲物と菓子しかでないのだ。ビッグバード二階の出発ロビーでサンドイッチとおにぎり弁当を調達する。さすがにJRの駅とちがって駅弁なるものはほとんど売っていない。そんなこんなで羽田を飛び立ってたった九十分でもう新千歳空港へ到着だ。

 千歳で飛行機を降りてJRで札幌駅へ向かう。空の色がとても青い。東京でこんなすみきった青い空を見ることがあるのは年に何度か、それも夜中に台風が通過した翌朝くらいのものだ。この青空を見ることが出来ただけでもここまで来た甲斐がある。だが、残念なことに機内から列車内まで外気に触れないのでまざ北海道の空気には触れていない。電車に乗ること三十数分、東京近郊で言えば東北本線で上野に向かうのに良く似た雰囲気を味わいつつ札幌駅につき、駅の外に出て初めて生の札幌の空気に出会った。

 今朝は東京もかなり涼しかったので気温差は極端には感じないが、湿度がとてもひくくて空気がカラリとしている。東京のまとわりつくようなじめじめした空気とは大違いである。時刻は十五時、まずはホテルにチェックインし荷物を置かねば何もできない。

 ホテルは駅から七分の京王プラザホテル、部屋は十九階でとても眺めがよい。札幌市内の南〜南西方向が一望できる。景観の鑑賞はあとにして、早速大通り公園に向かい、長年の夢だった焼きとうもろこしを食べる。昔と違って今はほとんどがピーターコーンという白と黄色の斑のとうもろこしになってしまったが、ここも例外ではないのが残念だ。だが、夢にまで見た大通り公園の焼きとうもろこしだ。ちゃんとつまようじもついているのが嬉しい……東京だと何故かつまようじが付いてこないことが多いので、食べた後人前で口を開けることができなくなる。妻と娘はアイスクリームとかきごおりだ。

 風がないと日差しがつよく結構暑いが、日陰に入り風がでると、その風は結構冷たく東京で言えば九月下旬から十月上旬の気候だ。これは夜になると結構涼しいだろう。知人の忠告を聞いて長袖の薄いジャケットなどを持ってきて良かった。大通り公園では、人々が思い思いにくつろいでいる。地図をみる観光客(我々もそうだが)もいれば、芝生に寝そべるカップルもいる。大通り公園をまっすぐ東へ行くとテレビ塔にぶつかる。折角ここまできたのだから、上らぬ手はない。展望台は狭いが札幌市内が一望できる。何分始めての地なのでどこがどこだかさっぱりわからないが、さすがに豊平川くらいはわかる。人口規模、街の大きさ、都会度どれをとっても永住には丁度いい規模である。ただ寒さに弱い私には冬が問題だ……景色を見ながら、ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。

 今日の締めくくりはかにである。途中雪印パーラーでとても美味なるアイスクリームを食べたのでやや寒くなってきたこともあり、夕食はかにすきにした。娘はお子様向けのかに膳である。最初はかに会席にしようと思ったのだが、かにすきにしてよかった。とにかく最後の締めのおじやが目茶苦茶旨いのである。出し自身に甲殻類特有のあじが効いており、これがおじやにしみこんでとにかく美味しい。これはかにすきならではの味わいだろう。とにかく旨くて大満足である。

 結構歩き回ったのでくたびれた。これで露天風呂のある温泉があれば天国だがそれは無理というものだ。バスで疲れを流して、この駄文を書いて、あとははやく寝て明日にそなえるだけだ。窓からみる夜景がとてもきれいだ。おやみなさい、札幌の街。


第二日目

 二十六日月曜日、札幌では今日から新学期だと朝のニュースが報じていた。ちなみにO-157騒ぎで一足早く夏休みに入っていた岐阜の一部でも、今日から繰り上げ新学期らしい。

 今回のフリープランのパックは食事無しだが朝食だけはついている。定期観光バスの出発が九時なので朝はゆっくり出来ない。七時半前に一階のカフェで和洋食ビュッフェを食べたのだが旨くなかった。今回のコースのセットになっているので利用したのだが、金を別に払ってまで食べる気にはならない。セットでは別のレストランも使えるので、明日は違う和食レストランを使うとしよう。

 定期観光バスは北海道中央交通のアカシヤコースといって、サッポロビール工場、雪印乳業札幌工場、羊ケ丘展望台をまわるものだ。名所旧跡だけをまわるならともかく、工場見学を午前中だけで二カ所まわるのは、たとえ車があったにせよ、個人ではなかなかできることではない。こういったコースを使うとやや忙しいけれど、全て準備が整っているので実にテンポよく進んで行く。あっさり割り切って観光客になりきったほうが、ここは得である。

 サッポロビール工場では、六條麦と二條麦の違いを初めて知った。前者は粒が小さくビール向けではないそうで、主に麦茶などに使われるそうで、言われてみればたしかにそういった商品名の麦茶があった。ここではホップの実物を手にとってみることができるが、案内嬢はあまり良い匂いとは言えないし、手に匂いが付くので勧めなかった。実際鼻を近づけるとむせるような、はっきりいえばくさいのである。これがビールの旨さの元になるとはとうてい信じがたい匂いだ。

 余談だがビンビールの王冠のギザギザは二十一個で、これより多くても少なくても開けにくいそうである。そしてビール工場見学と言えば当然試飲である。小ジョッキ一杯の新鮮なビールとチーズにビーフジャーキー、ビアクラッカー(これは東京なら恵比寿で求めることができる)をもらってグイっと一杯。いや、実に旨い、美味である。

 さて、次は雪印乳業札幌工場だ。ここでは一リットル紙パック牛乳を十三万個、小型パック牛乳を二十万個、そのたジュースやヨーグルトなど二十八万個、アイスクリームを四万リットルを一日に作っているという。ここで作られた製品は札幌を中心に北海道内で消費されるらしい。北海道に来て食べたアイスクリームはどれも東京のそれよりずっと美味である。特に乳脂肪が十数パーセントと高い本当のアイスクリームを食べるとその違いははっきりとわかる。札幌駅もしくは時計台北側に雪印パーラーがあるが、昨日食べたアイスもこのうえなく美味である。その理由を案内嬢に尋ねてみると、配合は本州製品と違わないそうであるが、もとのホルスタインからでるミルクの質が本州の牛とはやはりことなるそうである。

 このアイスクリームは北海道でしか食べられないのである。他府県への発送もしてくれるというので、ここはひとつ雪印パーラーで頼んで帰るしかない。東京では濃厚な味のアイスクリームというと、海外系のハーゲンダッツ社のものがあるが、それに負けず劣らず、いやそれ以上に濃厚であるが、さっぱりした日本人好みのものだ。人生三十●年、初めて津軽海峡をわたり初めて美味しいといえるアイスクリームに出会った気がした。

 この工場見学のコースは実に効率がよい。自分達個人でゆけば午前中だけで二カ所の工場見学をし、それぞれで説明をうけて試飲やら試食をするのは、ほとんど不可能であるといってよい。これは観光コースとして出来上がったものならでわである。始めての人にはアカシアコースは、ちょっと早起きしていってみる価値はある。ぶらぶらあるいていてもすぐ昼になってしまうから、その間に二カ所の工場をみるのは悪くない。

 明日は一日小樽なので、今日のうちにお土産調達タイムだ。このなかで人を驚かせるにはもってこいのものがある。まずは熊肉の大和煮、えぞ鹿の大和煮だ。それでも熊や鹿ならまだ馴染みはゼロではあるまい。特筆すべきは「トドの大和煮」、「アザラシの大和煮」である。これはさすがに生まれて初めて見た。アザラシというとエスキモーを想像してしまうではないか。なんといってもびっくり土産は「トドの大和煮」である。こうなると旨い不味いは問題ではない。ちなみに「トドの大和煮」、一缶七百円だ。私は買っていないが、人を驚かせたい向きにはもってこいかもしれない。

 今日の締めは魚や一丁でビールに魚だ。ほっけが実にうまい。このほっけを食べるともう、東京のホッケを食べることはできないだろう。いかの刺身もうまい。もちろんもっと高い金を払うか、札幌を離れれば旨くて安いだろうが、札幌駅のそばでは、おそらくここが一番安くて旨くて量がある。

 今日も一日美味しいものが食べられた。ああ、幸せ……。


第三日目

 二十七日、今日も札幌は快晴である。昨日は一階の朝食ビュッフェがまずかったので、今朝は二十二階の和食レストランにする。舞浜の東急ホテルのほうは、もう少し価格は高いがビュッフェは和食・洋食ともとても美味しいし種類も多い。経験的にはビジネス客を中心にしているところは、概してこういったビュッフェは品数も少なく、味もたいしたことはない。どうやらここも例外ではなさそうだ。でも新宿ヒルトンはビジネス街だが料理も旨い。どうやらこういった都市型の料理は苦手なのかも知れない。

 今日の予定は小樽観光である。電車で行けば快速で札幌から三十分、普通でも五十分程度と時間的には上野から我孫子くらいだろうか。さほど遠くはないが、初めてということもあって、昨日同様北海道中央バスの定期観光バス「小樽マリーンコース」に乗る。ハイデッカーのバスの座席は運転席の真後ろで絶好の眺めである。札幌を出て札樽{さっそん}自動車道路へとバスは入る。八十キロ制限を遵守した安全運転だが、なにせハイデッカー車の最先頭席であるから、目の前には百八十度のパノラマで風景が広がる。これは快適だ。数年前に徳島から淡路島へ行くバスに乗ったときも、瀬戸大橋を渡るハイデッカー車の最先頭席で恐ろしいまでに眺めが良かったのを思い出した。

 さて、バスは小樽市に入ると北一ガラス三号館や小樽オルゴール堂のあるところで降ろされた。すきに見てこいというわけだ。まず小樽オルゴール堂へ入ったが、要するに大きなオルゴール専門店だ。昨年箱根へ行ったときに似たような店があった。その時は珍しかったが、一度見れば十分だ。ちらりと中をみてつまらないので早々に北一ガラスのほうをみるが、これまたつまらない。ガラス工芸に興味がないし、飾っておく場所もない。地震がくればどんな高価なガラス工芸でも木っ端みじんだ。ただ、ここの店頭で食べた夕張メロンソフトクリームは旨かった。ここでもまたアイスであるが、美味しいのだから仕方ない。

 次にバスは寿司屋通りを抜け天狗山へと向かう。ここで食事だが出てきたのは鮭いくら丼だ。まぁまぁ旨い。こんな観光地で食べてもいくらがたっぷりはいっているところがさすが小樽である。本来なら寿司でもゆっくり食べたいところだが、定期観光バスではそうもゆかない。また来ることがあれば、食べるだけに札幌から電車できてみようと思う。余談になるがここの駐車場には何とNTTパーソナルのアンテナがあり、手元のPHSを見るとちゃんとアンテナバーが三本である。まぁ、こんなところまでアンテナをたてるとは、さすがNTTパーソナルだ。ちなみにDDIポケットのアンテナもその近所で見かけたのだが……。ここにはロープウェイ(といっても箱根のように大規模なものではない)があり、山頂近くまで上れるが、ここからの眺めは絶品である。とはいえ、右も左もわからぬ土地だから、実感が涌かず感激は薄い。感動の度合いから言えば申し訳ないがサンシャイン展望台の方が地元であり実感が涌くのである。

 さきほどガラス工芸に興味はないといったが、ここにザ・グラススタジオ・イン・オタルがあり、別館にはガラスで作った小物や動物達が沢山ある。これは実に可愛いものばかりである。幾つか買いたかったが、考えてみれば我が家に飾り棚はないのだ。残念だがガラスの猫ちゃんを連れ帰ることは出来なかった。これはちょっと心残りである。

 小樽市街から直線距離で数キロのところに高島岬があり、ここの手前に小樽水族館がある。北海道という土地柄か敷地はかなり広く、サンシャイン国際水族館のように、とにかく世界の魚を集めたというのとはまた趣がことなり、回遊水槽にはふだん見かける魚達が悠々と泳いでいる。なんというか、鴨川シーワールドの北方版といった感じだ。

 ここから小樽市街に戻る途中に小樽交通記念館がある。小樽の手宮は北海道鉄道発祥の地だそうだ。かつてこの地を走ったアメリカから輸入された蒸気機関車三両のうちの「しずか号」が展示されている。残りの二両は東京の交通博物館と大阪の交通科学館に展示されているという。言われてみれば、確かに神田の交通博物館一階に展示されている。ここでしか見られないものに、ラッセル車の展示がある。特に大きなブレードを前部にもったロータリー車が凄い。今までそれこそ図鑑でしかみたこともないものだけに驚いた。いや、でかい、すごくでかい、とにかくでかい。でかいのはロータリー車だけではなく、この記念館の敷地もさすが北海道広い。猫の額の交通博物館とは雲泥の差である。

 さて、一日の締めくくりはまた美味しいものだ。今日の夕食は私は海鮮丼、妻は三色丼だ。海鮮丼は千八百円と札幌駅側の店だけに、ややお高いがのっている具の多さ、でかい牡丹海老などをみると、東京での価格は想像できない。いや、そもそもこんなに沢山具が乗った海鮮丼にはお目にかかるのは不可能だろう。それに鮭のちゃんちゃん焼き(さすがに鮭丸ごと一匹ではない)を家族でつつきながら食べて、ビールを飲み、またもや大満足である。いあやぁ、生きていてよかった、美味しいものに巡り会えることがこんなに幸せだとは思わなかった。

 いやはや、まったく、食べてばっかりの札幌旅行だ。


第四日目

 二十八日、楽しい日々は過ぎるのが早い。仕事の四日間はえらく長いのに、旅先での四日間はあっというまである。三泊四日の札幌家族旅行も本日が最終日である。帰りはJAL512便で新千歳を十四時二十分に出発する飛行機だ。

 最終日の朝食はホテル最上階(二十二階)のフランス料理レストランである。紅茶またはコーヒーにミルク、オレンジジュース、ハム、スクランブルエッグ、パンとオーソドックスなものだが、少なくとも一階のバイキングよりはまともだし、何より素晴らしい眺めでゆっくり朝食が楽しめるのがよい。

 来たときは到着後すぐにJRの新千歳駅へ向かったので、新千歳空港をゆっくりみることもなかった。航空券は団体扱いのチケットで新千歳空港内のJTBトラベルデスクで出発五十分前までのチェックインが必要だから、ちょっと早めにホテルを出る。帰りに乗った快速エアポートは小樽か旭川始発の列車らしく満席状態だったが、さらに次を待つのもあほらしいので、そのまま乗ってしまう。所要時間は三十六分。札幌から離れるに連れて空が青みをましてゆく。やはり北の都札幌といえども市内の空気は汚れているのかも知れない。千歳に近づくと三日前にこちらについたときのような、ぬけるような青空が見送ってくれている。

 昔の千歳空港は知らないが、今の新千歳空港はターミナルビルは地上四階で、ロビーを端から端までゆくと1kmもあるという。地下一階からはJRで札幌駅へたった三十六分で直行できる。このアクセスの良さは国内の大規模空港としては特筆もので、羽田のアクセスの悪さ(モノレールがビッグバード地下から出ているが終点は浜松町などという、クソの役にもたたない駅である。東京、新宿、上野、池袋、といったターミナル駅へゆくのさえ乗り換えねばならない。そのうえ浜松町のターミナルは恐ろしく狭く年中人ではふれかえっている。成田はいわずもがなの遠距離だし、JRの成田エキスプレス(NEX)なら池袋から一本だが、時間がかかるし成田線は実際には本数が少ないローカル線だ。首都圏の人口過密土地不足でやむを得ないのかもしれないが、とにかく大都会の空港への足は不便でかなわない。

 空港内にも雪印パーラーがあるのをガイドブックで調べていたので、まずはそこで今回の旅最後のアイスクリームを食べる。甘味をおさえたエクセレントというやつで、シングルのコーンで二百六十円也。まぁ妥当な値段である。これで毎日どこかで最低一つはアイスクリームを食べたことになる。昼食はさすがに空港ビルだけあってお世辞にも安いとは言えない。特筆するほど旨くもないが、ホテルの一階ほどまずくもないのが救いである。

 四階の展望デッキにでると、新千歳空港が一望できる。昼過ぎの時間帯だと、結構発着する飛行機が多く、羽田ほどではないが並行して走る二本の滑走路をひっきりになしに着陸あるいは離陸し、滑走路手前の誘導路には三機ほど並んで待っている状態だ。上空には時折航空自衛隊の千歳基地から飛び立ったF14が民間航空機とは異なった鋭い爆音をたてて急角度で上昇して行く。新千歳でさえこの混雑だから、羽田や成田の混雑はいうまでもない。この混雑でよくぞ事故がおこらないものだといった関係者がいたそうだが、その言葉に思わず納得してしまう。

 十四時すぎJAL512便の搭乗が開始された。これで北海道ともお別れである。我が家は冬場は動かない主義だから、次に北海道を訪れるのは早くとも来年以降だ。北海道はぜひまた来たい。おそらく何度来てもその魅力に飽きることはないだろうし、北の味覚は来る旅に私たちを楽しませてくれるに違いない。なごりはつきないが、今回の札幌家族旅行はこれで幕引きである。次にくるまで、しばしの間この地とお別れである。さようなら、札幌、小樽、新千歳空港。

 定刻過ぎ、JAL512便は北の玄関口、新千歳空港を離陸した。

 札幌での四日間はあっという間に終わってしまった。八月下旬の東京は朝晩は気温も下がり、かなり過ごしやすいのだが、カラッとした涼しさではなく、何となくじっとりとしているようだ。だから汗をかかないようでいて、気付くと肌はねっとりと汗が絡み付いている。人一倍汗っかきの娘は額に汗を滲ませていることが少なくない。

 札幌から戻った日の東京は気温二十一度とかなり涼しいのだが、生憎の小雨模様で湿度が高く、例によって湿った空気が体にまとわり付くようだ。札幌は天気も良く暑いくらいだったのだが、湿度が低いため暑さを感じにくく、汗がまとわりつくようなことがない。札幌在住の人が、九月の東京を訪れてまるで真夏の暑さだ、と感じるというのを聞いたことがあるが、それがよくわかった。

 札幌は大都市である。北日本一の大都市だ。だが市の西には美しい山並みがあり、中心部からさほど時間をかけずとも自然が満喫できる環境にある。これは東京のような大都市に住む者にとってはうらやましい限りである。

 私自身東京は好きである。だが生まれた街でもないし、何より好きで住み始めた街ではない。社会人になって東京赴任を命ぜられ仕方なく住み始めた街である。さしずめ住めば都といったところだろうか。

 だが、いかんせん東京はでかすぎる。とにかく巨大である。面積は狭い癖に人口は一千万を越える。いい加減首都機能を移転して都市の縮小化をはかるべき時に来ているにもかかわらず、都議会は既得権にしがみつき首都機能移転に断固反対している。逆に都議会に今の首都のあらゆる混雑を排除する有効な代替案があるというのか?代替案なしに反対だけするというのはあまりに無能にすぎはしないか。

 少し足を延ばせば自然に親しめる住環境を得ようとすると、サラリーマンは片道二時間の通勤を覚悟せねばならない。それも悠々と座っての通勤ではなく満員電車でおしあいへしあいのへとへと通勤だ。定年までこんな生活を続けていてはそれこそ寿命が十年は縮まるような気がする。さらに大気汚染がそれを加速する。

 私は京都生まれであるが、京都へ戻りたいとは思わない。だが都市の規模としては札幌といい京都といい、少し足を伸ばせば自然は一杯だし、適度に都会である。私のような都会育ちにはやはりある程度都会の空気が恋しいから、まったく都会と離れるのはつらい。だが、今の東京は長居するところではない。

 札幌は北の都だ。私のようなぬくぬくの都会育ちには想像をこえた冬のきびしさがあるに違いない。一年の半分近くは雪から逃げられない生活なのである。それは理屈の上ではわかっている。わかってはいるが、自然の美しさとバランスのとれた都市規模にとてもあこがれを持っている。特に今回札幌を訪れてその思いがいっそう強くなった。

 東京は若いうちだけしか住めない町だ。人口と政治と産業が集中する限り、ここで人間的な生活をするのはほとんど不可能に近いのではないだろうか。東京以外の土地で通勤に二時間もかけるところはまずないだろう。それだけ苦労して骨身を削って通勤して働いても、不況になれば会社は冷たくいやがらせをしてくびを切る、あるいは辞職に追い込むのだ。

 東京にしがみつく自分の生き方にふと疑問をもった。いや、いままで底流にあった疑問が表面に浮き上がってきたというべきか。発展ばかりを狙うのではなく少し都市規模を小さくする、そんな政策を国はとれないものか。地方自治を重視するのもいいが、肥大し荒廃した都市を手放しにしておくのが地方自治ではあるまい。


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