私達夫婦が結婚したのは今から十一年前のことである。ハネムーンの行き先は定番のハワイだった。私はそれが始めての海外旅行であったが、妻の方はハワイに二度、香港に一度行ったことがあり都合四度目の海外旅行であった。そういうわけで妻はハワイが三度目であり、私もオアフ島以外の島にも泊まってみたいという贅沢な要望もあり、五泊七日のうち最初の二泊をマウイ島のハイアット・リージェンシ・マウイで、後の三泊をハワイアン・リージェントで過ごした。
オアフ島のワイキキは噂通り日本人ばかりで二度訪れたいとは到底思わなかった。しかし同じカラカウア通りにある施設でも、動物園から先には日本人の姿はほとんどみることがなかった。ホテル街の一番端(動物園に近い側)にあるハワイアン・リージェントから徒歩十分くらいだろうか、散歩がてらにのんびり歩くと水族館がある。ここまでくると日本人観光客の姿は皆無であった。どうも日本人はきまったところに集まる習性があるらしい。
この水族館には入場料という制度はなく寄付金をいくばくか入れるというもので、はてさていくら入れたものか、妻と二人で悩んだことや、小額紙幣の手持ちが丁度少なくなっていて困ったことを覚えている。
この時はマウイ島(カアナパリのハイアット・リージェンシー・マウイ)とオアフ島(ワイキキのハワイアン・リージェント)の両方に行ったのは最初に書いたとおりだが、このときワイキキにあまりいい印象がない。それに引き替えマウイ島のカアナパリやラハイナはとても素敵なところであり、ここでぜひゆっくり滞在したいと思っていた。
小さな子連れの海外旅行はかなり手間がかかるし、周囲に迷惑をかける可能性も高い。また子供は体調を崩しやすいから、下手に現地で熱でもだされたら、ハワイへ病気になりにいったも同然の結果になる。そういうことを考えると、親のいうことを理解して自分なりに多少は判断もでき、思い出として記憶にものこる年齢になるまで海外観光旅行は自粛すべきだろう。だから我が家も娘が小学校四年になる今年まで待ったのである。
出発日が近づくにつれ心配なのは娘を筆頭に皆の体調である。妻の従姉妹は三日ほどまえに子供が熱をだし、下がるのではないかと期待したが結局下がらず、当日の朝だか前日よるだかに北海道旅行をキャンセルし、膨大なキャンセル料を取られたというからひと事ではない。
とにかく帰国するまで、病気や怪我は厳禁である。特に最近はO-157なども流行しておりまったく気が気ではない。祈るような気持ちとはまさにこういうことをいうのだろう。
七月十七日(木曜日)。どうもこのところ私達家族は雨にたたられている。五月に行った友人家族達の伊豆旅行の時も雨だった。そういえば昨年の白河も雨だった。今回も、昨日(十六日)までは晴れていたのに、今朝方から梅雨前線が南下して西日本はまたもや豪雨、東京も午後から雨だという予報だ。私が雨男なのか、妻か娘が雨女なのか不明だが、とにかくこのところ旅行というと雨であうことが多い。自宅から最寄り駅までの数分間だけ降らなければそれでよいのだが...。
娘の学校の終業式は十九日(土曜日)で、十八日(金曜日)まで給食有りの六時間授業だという。昔は夏休み一週間前位には午前中授業になっていたものだ。こんな所にもカリキュラムを見直さないで授業時間数だけをへらすという極悪教育改革改革の歪があらわれてているのかもしれない。
そんなわけで、出発当日、私は休暇を取っているが娘は学校である。だが、六時間目の最後まで出ていたのではとうてい間に合わないから、午前中二時間だけ授業に出てあとは「所用」で早引きだ。どうせ金曜日、土曜日と休むのだから今日も休んでしまえばよいと思うのだが、妻としてはそうはさせたくないらしい。
今日の夜は風呂に入ることはできないから、昼食後娘とシャワーを浴びて髪を洗う。娘も私も今回の旅行前に髪を切っておいたから洗うのは楽である。時計をみると二時すぎである。外をみると午前中ぱらついていた雨が上がっている。インターネットのWWWで練馬の三時間毎のピンポイント予報をみると、午後三時の三時間当たり降水量は1mm、これが午後六時になると20mmになり、深夜になるとまた少なくなる。どうやら夕方がピークのようだ。
成田までは新宿発十七時十二分JRの成田エキスプレス(NEX)三十七号を予約してある。自宅のドアから新宿までは通常だと三十分ほどだが、子連れの上に若干荷物があり、天候も芳しくないときては余裕をみて四時くらいには自宅を出ねばならない。幸い三時半ころになっても雨はまだ降ってこないから、少々早いが今のうちに出かけることにした。多少新宿で待っても雨に合うよりはましである。
荷物の方は手回り品のバッグが二個と中くらいの大きさのほとんど空に近いトランクだけである。大中二個のトランクのうち、重くて大きい方はクロネコが成田に届けてくれるので楽チンだ。
新宿から一時間ちょっとで空港第二ターミナル駅につく。成田が新しくなってから始めてきたが、いやはや馬鹿でかくてだだっ広い。店舗の数から言えば羽田のほうが多いように思う。飛行機は二十一時三十分のJAL074便であり、ツアーのチェックインは二時間前からなので、まだ一時間ちょっと、搭乗開始までは二時間半もある。多すぎるようだが、軽食を取り、妻の免税店での買い物をする時間を考えるとさほど多くもない。
夜に成田を発つホノルル行きでは、出発してからまもなく夕食が出る。しかしそれは日本時間で十一時前後になるだろうから、時間的には夜食といってよいが、内容は一応夕食である。だからといって何も食べないと昼から何も食べていないことになり、それはそれで辛いから何か軽く食べる必要がある。空港内の蕎麦屋で妻は「梅香うどん」、娘は「たぬきそば」、私が「卵とじそば」だ。安いとは言えないが、馬鹿高でもなく微妙な値付けである。気のせいか羽田より成田の方がやすいかもしれない。
二十一時三十分、JAL074便は定刻に成田を出発した。飛行機の出発時刻というのは、ゲートを離れるときに車止めが外されて車輪が動き出した瞬間を言うらしい。滑走路の出発地点に向かってゆくときの、窓から見える夜の滑走路はなんともロマンチックである。文字どおりジェットストリームを地で行く感じだ。どこからか城達也の低いナレーションが聞こえてきそうだ。
離陸から一時間半後、機内サービスの夕食が出る。夕食とはいってもエコノミークラスだから大した物は出ない。私はこういう時に酒を飲むわけでもないから、別段嬉しくもない。そうこうするうち免税品の機内販売が始まった。妻は国内販売額の半額だと言うエスティ・ローダーの化粧品を、私は機内限定販売という「限定」にひかれてJAL特製スクリセーンセーバーを買い求め、子供はトランプのおまけをもらって喜々としていた。
日本からハワイに行くと、時差の関係で夜がひどく短い。日本時間では食事が終わって仮眠をとることができるのは、深夜十二時を回る頃、そして朝食が出るのが午前三時頃である。そのうえ窮屈なエコノミークラスの出来であり、腰は痛くなるし脚はだるくなってくる。エコノミークラスでたえらるのは、グァムかハワイ、せいぜいオーストラリアくらいではないか。贅沢かも知れないが結構辛いものだ。
子供連れでビジネスクラスとかファーストクラスにのるのはバカげているが、娘が手を離れて夫婦で旅行できるようになったら、一度は乗ってみたいものである。
そんなことを考えている間に、機内の照明が落とされシャッターも下ろされて、三時間ほどの短い夜が訪れた。目が覚めたらホノルル国際空港まで一時間か一時間半ほどの筈だ。
国際日付変更線を越えたので、二日目になってもまだ七月十七日である。ホノルル時間と日本時間の差は十九時間であり、日本時間に五時間を足して一日引くとホノルル時間になる。ホノルル時間から五時間を引いて一日足すと日本時間になる。ハワイに来るときは一日得をしたような気になり、帰るときは一日すっとんでしまい損をした気分になるというわけだ。
ホノルル時間の午前八時過ぎから機内で簡単な朝食が出だ。デニッシュ一個、ヨーグルト、フルーツポンチ、飲物である。まったく大した物ではないが、前夜三〜四時間前に夕食を食べてから座りっぱなしであるから、これ以上大した物がでても食べられる物ではない。といって食べないと今度は昼飯まで食事にありつけないことになり、それも困る。
九時五十分、定刻より十分遅れでJAL074便は無事ホノルル国際空港に到着した。入国審査は行列を並んで結構長い時間待った割にはあっけなく終わってしまった。税関も機内で記入しておいた書類を渡して終わりだ。じつにあっけないものだ。もっともこれはツアー客向けの税関出口を通ったためで(実際ツアー客なのだが)、一般客のほうの出口を通るとまた違ったかもしれない。
私が申し込んだツアーはJTBのもので、五泊七日の全てをマウイ島に滞在するものだ。だからホノルルはトランスファー(乗り換え)をするだけであり、空港から外に出ることはない。ツアーのオアフ島はどこも日本人だらけなので私も妻も全く興味がないのである。
ここから乗るのはアロハ航空の十二時三十分発210便、マウイ島のカフルイ空港行きだ。これもツアーの一環で全て手配済みなので非常に楽チンである。ツアーでなく個人旅行でもよかったのだが、ハワイ方面のように日本人にとってメジャーな観光地だと、一流ホテルに滞在する限りどうやってもツアーのほうが遥かに安いのである。ツアーといってもトランスファーの面倒をみてくれ、ホテルの手配をしてくれ送迎付きというだけで、あとは一般と差はない。むしろ荷物の受け運びを全部やってくれ、空港との送り迎えが付く分気楽である。
トランスファーの為に一度別の建物に移るために外を歩くのだが、十一年前に感じたときに比べて全然暑く感じない。それもそのはずで、三十五度をこえる東京の連日の猛暑に体が有る程度慣れてしまったのだろう。以前は木陰に入ると気持ち良かったのが、今回はうすら寒くすら感じた。ピーク時の気温で比べるとヒートアイランドと化した東京は、南国ハワイよりはるかに暑いのだ。
ホノルル空港のアロハ航空カウンターの中に、JTBのカウンターがあり、ここでマウイ島までの搭乗券と帰路の航空券を受け取る。他に申し込んでおいた無料の携帯電話――これはJTBのツアーガイドデスクと無料で通話が出来、種々の相談、予約などを受けてくれると言う便利な代物だ――を借りる。使うかどうかわからないが、まぁあれば何かの役にたつかも知れないという程度だ。この電話機がかなり小型だとはいえ、私が使っているNTT DoCoMoのP201より一回り大きく倍くらい分厚い。
実はこのあと一つとんでもないアクシデントが起こるのだ。JTBのツアーデスクで、確認のためにパスポートを見せるのだが、このあと携帯電話やら帰りの搭乗券、帰りのトランスファーの方法などの説明を受けて、頭が一杯になりカウンター嬢にパスポートを預けっぱなしにしてしまった。家族三人のパスポートカバーに紛失防止用の小さなチェーンをつけていたから、不意に落としてしまうことはありえないので、すぐにカウンタ嬢に預けっぱなしにしたことはわかったが、一瞬冷や汗が出た。
慌ててカウンターに戻ると、ちゃんとそのことを覚えていてくれて、アロハ航空のゲートのほうに私達を探しに行ったのだという。このあたりツアーの有り難いところで、客が予定通り行動する限りは客の行く先や乗る飛行機、宿泊先や部屋までわかっているので、個人旅行よりは安全かもしれない、と妙に感心した。また預けた荷物が行方不明になっている場合でも、こちらはほとんど何もせずとも荷物を探し出して見つかればホテルの部屋まで届けてくれる。そのかわりそういったことの説明を空港ロビーなどで集団で受けたり、ホテルバスを集団で待ったりするが、いかにも観光客団体という感じがして、私は好きではないのだが、まぁ楽ならそれでよい。特に子供が居ると親はできるだけ楽な方がよい。
アロハ航空の飛行機はB737で横3+3の六座席のタイプだ。機内でオレンジジュースかコーラのサービスが出るが、所用時刻は三十分である。さしずめ大島と羽田といった感じだろうか。午後一時過ぎ、私達は無事目的地の玄関マウイ島のカフルイ空港に到着した。だが、ここからホテルに直行かといえばさにあらず。一度カフルイ空港から車で五分くらいのところにある、カアフマヌショッピングセンターというマウイ最大のショッピングセンターにゆき、そこにあるJTBオフィスでオリエンテーションがあるのだが、そこへゆくためのJTB手配のバスがなかなかこない。ようやくカアフマヌショッピングセンター内のJTBオフィスでオリエンテーションが始まったのは二時半ちかくであった。そこで滞在中の説明・注意などツアーとしてはあたりまえの説明を受け、十九日に予約した潜水艦ツアーの費用を支払い、四時半発のホテル行きバスまで一時間半ほどフリータイムができた。ここでの昼食クーポンを渡されたので、あまり遅くならないうちに食事をとったほうがよさそうだ。
このカアフマヌセンターには大小取り混ぜて九十件の店舗(JCペニー、リバティハウス、シアーズという大手のデパート……といっても売り場面積は狭い)がある。ゆっくりぶらぶらとしたいが残念ながらそんな時間はない。カフルイ空港で、娘が突然靴がきつくなって足が痛い――日本をでるまでは機嫌よくはいていたのに――というもので、急きょ子供靴探しとなった。日本のデパートだと20cmくらいの女の子向けの靴というのはデパートの子供服売り場に隣接しておいて有る。ここでもそのつもりで探すとほとんどみあたらない。かといって靴屋をみると、20cm相当のものは丁度境目らしく非常に少ないのである。結局リゾートサンダルを持参しているので、それで過ごすことで娘を納得させ、靴探しはとりやめて残り少ない時間での昼食となった。
時間があまりないから、早い物がよいというわけで、クーポンのきくハンバーガーショップ「アービーズ」に入ってローストビーフをはさんだハンバーガーのコンボを二つ、娘にはチキンコンボを頼んだ。しばらくして出てきたのは、思わず「アメリカン!」と叫びたくなるような代物で、バンズは一回りか二回り大きく、やまほどのあまり旨そうではないローストビーフが挟んである。チキンのほうは日本のモスバーガーの「モスチキン」の骨無し版というのが一番近いかもしれない。それらに日本のLサイズのポテト(といってもバネ状にくりんくりんになったものにスパイスが効かせて有り、熱いうちは結構旨い)がついている。これをみただけでうんざりしてしまった。アメリカ人はこういうものが好きなのだから、日本人には理解できない。
ゲップがでそうになりながらも、半分ほど食べてあとは神様ごめんなさいである。通常のレストランでサンドイッチなどを食べきれないときは、残りをテイクアウトしてくれというとケースに入れてくれるのだが、さすがに今日はもういらない。
午後四時半のホテル行きバスに無事乗車して、それから数十分で宿泊先のザ・ウェスティンマウイである。カフルイからラハイナへ入り、ラハイナからホテルのあるカアナパリまで行く三十号線は十一年前にも通った道だ。ほとんど記憶にはないのだが、なんとなく懐かしい気がする。
カアナパリはマウイの中でも屈指の高級リゾートで六件のホテルと六件のコンドミニアム、ゴルフコースやホエラーズビレッジというショッピングセンターから成る。ホテルの敷地もオアフ島のワイキキ周辺のように建て混んでおらず、周囲には広い海と豊かな緑が広がっている。
これを書いているのは実はホテルのテラスである。デッキチェアに腰を掛け、目の前に広がる真っ青な海と椰子の木々に沈みゆく太陽を眺めながら、鳥達のさえずりをバックに、HP200LXのキーボードを叩いているのである。これは最高の贅沢で、日本ではなかなか味わえない光景だ。この鳥が日本の雀にそっくりなので、これはsparrowか、と尋ねたがそれは単に鳥であるとしかわからない、と返されてしまった。そういえば米国人は昆虫なども一般の人はあまり詳しく分類して覚えないらしい。蝶は黄色であろうが白で有ろうが蝶であり、下手すれば「虫」なのである。大きくても小さくても単に「鳥」なのかもしれない。
この日は四時前にばかでかいハンバーガーを食べたのでさすがに夕方になっても腹が減らず、ホテルの隣のホエラーズビレッジのピザショップでピザと飲物で済ませた。十一年前に来たときは、ここにリバティハウスのショップと若干の店があっただけだっのに、今は大きく様変わりして、DFS・ルイヴィトン・シャネル・ティファニーを初め日本で言う有名ブランドが立ち並んで俗化してしまった。
食事をすると時差惚け(というか寝不足)もあって、九時にはみんな眠ってしまった。枕は私の好みの柔らかな羽毛の枕でありゆっくり眠れそうだ。これが日本のホテルだと羽毛の癖に安物のフェザーが多い堅いタイプで眠れないことが多いのだが、どうやらこの滞在中は安心して眠れそうだ。
と、そのときドアがノックされた。覗き窓からみると体格のいいホテルのボーイである。チェーンを外さずに聞いてみると届け物だと言う。そんなものは頼んでいないというと、これはギフトである、といってノブにかけてさっさと行ってしまった。何かと思ったら、子供向けのストロー付き密封カップ(ドリンクをいれるもの)と、帽子であった。こどもはその帽子を気に入ったようだ。
ともあれ、おやすみなさい。
前日の疲れもあって、目覚ましは七時半位にセットしておいた。なんとか目が覚めて身支度をしていると、朝の八時半からノックするものがいる。昨夜に続き今度は何だとおもったら、ハウスキーピングであった。つまり掃除をしに来たのだ。寝坊するつもりはなかったので「起こさないでくれ」の札は下げておかなかったのだが、まさかこんなに早いとは思わなかった。
朝食は日本で三日分のクーポンをつけたので、レストランのビュッフェでとる。フルーツジュースのほかにどこにでもあるようなメニューばかりで珍しくはない。ただパンがうまくない。ばさばさの胚芽パンのようなものばかりなのである。クロワッサンも日本の倍の大きさはあるが、やはりパサパサである。もっともあの大きさで日本のようにバターたっぷりだったらしつこくてかなわないのかも知れない。
今日の予定はラハイナである。カアナパリからラハイナへ出るには、ツアーのバスを使う方法と一人$1.00を支払って乗るマウイ・ショッピング・エキスプレスというバスがある。この日の朝はツアーのバスを使用した。余談だが、マウイではよくJALのツアーであるI'LLのバスやその札を張ったショップを見かけた。調べてみないとわからないが、ひょっとしたらI'LLのほうが足回りがよいのかもしれない。
ラハイナは十一年間前にカメハメハ三世小学校とバニヤン樹(いわゆる「この木なんの木」の木だ)に記憶がある。ラハイナの街はメインストリートをぶらぶらするのが面白い。多いのは地元のデザインのTシャツだ。昔は気付かなかったのだが、今よくみるとメインストリートには、ワイキキに数多くの店があるABCストアがあるのはちょっとおどろいた。
ラハイナのザ・ワーフシネマの周辺はツアーバスの発着場があることもあって、日本人の姿が耐えない。そこから十五分ほど歩くとラハイナセンターというやはりショッピングセンターがあるが、ここにはブランドショップがほとんどないせいか、日本人の姿はほとんどみかけない。ワイキキでも昔はカラカウア通りを外れて動物園や水族館の方へ行くと日本人はぱたりと姿を消した物だ。どうやら日本人は本当に有名な一定の範囲内でしか行動しない人種らしい。
こちらで驚くのは、米国人のドライバーの歩行者に対するマナーの良さである。横断歩道を渡ろうとすると、少なくともマウイ島では多くの車が止まってくれる。たまに止まらない車もあるが、ラハイナなどでそういう車に出会ったら、十中八九は日本人の運転する車だったりする。
ひょっとしたら、弱者保護という観点からすると、邦銀系のクレジットカードと日本の流通系のクレジットカードの、利用者に対する保護施策の違いに通じるものがあるかもしれない。万一のトラブルを考えると、後者などはいくらポイントなどの目先のメリットがあってもそんなものはクソ食らえであり、恐ろしくてとても海外や海外通版などで使いたくない代物だ。
さて、マナーに関して言えば、似たようなことは、店の中やホテルの中などでも言えて、チョロチョロと動き回り他人の間をかき分けてみたり、ぶつかってきたりするのは決まって日本人の餓鬼である。子供とは呼びたくない、まさにクソ餓鬼であり、地獄に落ちろと言いたくなる。こと公共の場でのマナーに関する限り、特にカアナパリのような高級リゾートホテルに滞在する客に関して言えば、米国人の子供はたいへん良く躾が出来ている。子供どころか大人でもそうで、狭い間を黙って無理矢理通ろうとするのは決まって日本人だ。これは国内外を問わず正すべき悪癖だろう。国内だとさほど目立たないのが、海外ではひどく目立つので心すべきだ。とくにクソ餓鬼の躾の悪さだけは断じて許すことが出来ない。私自身が自分と家族に対してそういうことに厳しいだけに、よけいに他人の悪さを絶対に許せない。
話を戻そう。私達はワーフシネマからウィンドウショッピングを楽しみながらラハイナセンターに来た。ショッピングセンターとはいっても、平屋建ての店が集まったような物であり、島内のツアーを扱っている店や、衣類を扱う店、それにリバティハウスなどがある。娘と妻は子供服や化粧品、Tシャツを買い求めていた。
うろうろしてると腹が減ってきたのだが、ここではあまり大した店もないのでワーフシネマまでもどり、あのあたりで何か食することにし、また十五分ほど歩くことになった。
西マウイには砂糖キビ列車(シュガー・ケイン・トレイン)という観光用(昔は文字どおり砂糖キビを運んでいた)蒸気機関車が走っている。この駅とラハイナを結ぶ、二階建ての真っ赤な無料バスが走っており、たまたまワーフシネマセンターに戻ってきたとき、このバスが来たので飛び乗った。この日に砂糖キビ列車にのる予定も無かったのだが、衝動的に乗ってしまったのである。
さて、乗ってから途中停車駅案内をみると、ラハナイナ・キャナリー・モールというのがある。ガイドブックによれば、ラハイナとカアナパリの中間くらいにあり、パイナップル缶詰工場跡地に建てられたショッピングモールであり、日本人観光客好みのブランドショップはないようだ。そういうわけで駅まで行かずに途中で下車してしまった。
ここは観光場所でもなく、モールの隣にはセイフウェイというスーパーがあるようなところで、地元の為のショッピングセンターだろう。入ってみると日本人は影すらない。私も妻もこういった日本人の居ないところのほうがすきなので、わくわくしながらウィンドウショッピングを楽しんだ。しかし、娘の腹減ったコールに昼食を食べていなかったことを思い出した。時刻をみると二時を回っておりここできちんと食べると夕食は食べられそうもないので、バーガーキングがあったので、ここでホッパーという普通のハンバーガーのジュニアサイズ(といっても日本のノーマルサイズくらいだ)と飲み物のスモール(これも日本のレギュラーくらい)を頼んだ。
ここでまた失敗が一つ。ホッパージュニアを二つ頼んだときに、店員が何か聞いてきたが早口(というか通常の会話速度)で、今一つ聞き取れず、それは三番目の奴かといっているように思えた。メニューをみると確かに三つ目に書かれているので、私の発音がまずくて通じなかったのかと思い、そうだ、三番目の奴を頼むと返事をしたのが間違いだった。でてきたのホッパージュニアとポテトとドリンクのMがついていた。一瞬わからなかったが、よくメニューをみるといわゆるセットの三番目がこの内容なのだ。なるほど、私がホッパジュニアを頼んだときに、三番目のセットメニューにするかを聞いていたのだ。私がそうだとこたえたもので、素直にそれがでてきたのだ。
そんなこんなで、この昼もまたポテト責めにあっていると、隣の席にサイミン(ラーメンみたいなものだが、海老のスープであり、ずっとさっぱりしているらしい)を手にした地元の人が来た。よくみるとバーガーキングのとなりのサンドイッチショップにサイミンがあったのだ。これはしまった、しくじった。後悔先にたたずとはこのことをいう。一度サイミンを食べたかったのに……。彼らは器用に箸をつかって食べているが、例によって猫舌らしくふーふーいいながら食べている。当然ずるずると音を立ててすするようなことはしない。理屈ではわかっていても、日本人としてはついすすりたくなるというものだ。
またもやポテト膨れになった腹をかかえて、となりのセイフウェイへゆくと、当然日本人観光客などは皆無である。それはそうであろう、西友ストアやダイエーに外国人観光客がいるとはとうてい思えないから、私達も珍しい存在だったに違いない。ここで米国版「コアラのマーチ」と電子レンジポップコーンなどを買い求めた。ここは買うと言うよりみていると面白い。日本野菜の大根(形はかなり小さい)や白菜もあったり、ハムが巨大だったり、とにかくみていて飽きない。国内の見知らぬ土地のスーパーでも面白いのに、海外になったらなおさらだ。食品に関しては乱暴な言い方をすれば、なにかにつけ日本のものより一回りから二回りは大きいようだ。ちょうど体格の差が食品にも出ているようだ。
レジは噂通り九品以下のExpressLineとそうでないのに分かれており、自然にそれらが護られている。これまた日本にはなかなか根付かない習慣の一つであろう。カード精算のときは、レジ前にあるカード読みとり機を操作して自分でカードを読ませ、キャッシャーが打ち出された伝票にサインするというしかけだ。私の前に並んでいた米国人(だと思う)はやり方がわからなくて係員に尋ねていたところをみると、やはり地元の人ではないらしい。
最初は交通の便の関係であきらめていたラハイナ・キャナリー・モールに来たのはよいが、問題はカアナパリへの帰路である。衝動的に降りたから帰りのことまで考えては居なかった。最悪はタクシーかと考えていると、マウイ・ショッピング・エキスプレスのバスが来た。行き先がわからないので尋ねてみるとカアナパリにゆくというので、一人$1.00を支払って無事、滞在先のザ・ウェスティン・マウイまで戻ることが出来た。
COACHファンの私としては、前から狙っていたバックパックが欲しかったのだが残念ながら置いていなかった。しかし他に見渡すと、胸にCOACHのロゴの入っているポロシャツを買い求めた。妻はこのあとDFSで化粧品を買いたいというので、娘と私はホテルに帰ってプールに入ることにした。
ザ・ウェスティン・マウイには大小あわせて五つのプールがあり、それぞれにハワイ諸島の島の名がついている。途中には滝があったり、洞窟のようななかに小さなプールがあったりしてかなり楽しめる。
部屋で水着に着替えて、上から短パンとTシャツを着てプールに出た。タオルを二枚借りて、開いているデッキチェアを二つ専有した。ちなみに、こういうホテルではプールタオルは借りる物であり、自分のを持ってきているひとはまず見かけない。ここで借りるタオルはかなり大きく、海外通販ではバス・シートと呼ばれる大きなサイズの、まるでタオルケットのような代物だ。
ハワイというところは、日差しは強いから裸で日向にいると、じりじりと肌が焼けてきて放っておくと火傷状態になりかねないから、プールでは日焼け止めをしっかりとぬらないと、あとでえらい目に合う。今回はSPF45というかなり強力な奴を持参しており、特に肩には重点的に塗る。そういう強い日差しであっても、湿度が低いから日陰に入ると結構涼しい。また、マウイ島のカアナパリのあたりは、結構風がつよいので、日陰になって風がふくとかなり涼しい。プール上がりでこういう状況になると、はっきりいってかなり寒い。特にこの日は夕方近くになってプールに来たので、風が強くなりはっきりいって寒かったので、そうそうに部屋に引き上げてしまった。
プールから部屋に戻るときに、途中のテラス形式のクックス・アト・ザ・ビーチというレストランを夜七時に予約した。七時半からショウがあるそうで、食事はビュッフェ形式で、大人一人$27.95であった。ショウ付きでこれなら安いと言える。内容は当たり前の物にハワイの郷土料理などがある。どれをとっても極端に旨いというものはない。まぁこんな物であろう。
かくして、マウイでの二日目が終わった。マウイの滞在は、まだまる三日残っている。
七月十九日。今日の午前中は日本で申し込んでおいたオプショナルツアーの「アトランティス号による海中ツアー」である。ホテルまで迎えに来てくれるのだが、それが朝八時半と早い。
早めに起きて、クックス・アト・ザ・ビーチでビュッフェ朝食である。今日のテーブルの担当はロバート氏というウェイターだが、この人がとても愛想のよい人で、日本語も虎の巻を持ちながらも、ぎこちなく操っている。その明るさと気持ち良さがとても気に入って、日本の人形の小さな物でもあればぜひ差し上げたかった。やはり同じように感じた日本人が居たらしく、ポケットに小さな招き猫を入れていた。聞いてみると日本人のゲストからもらったのだという。残念ながら今回はそういうものをもってくるのを失念したので、何も差し上げられなかった。
さて、アトランティス号である。これはラハイナハーバーからボートで十数分の沖合いで私達を待っている。ラハイナのアトランティス・ロゴ・ショップでチェックインしたあと、諸注意をききボートに向かう。
ラハイナの沖には客を数十名くらいのせて三十数メートルの海中を一時間ほど走るのである。潜り始めると思ったより透明度がよくない。三十メートルほど潜って海底に近づくとテーブルサンゴがあり、その付近には魚達が沢山いる。潜水艦の中からみる魚達は、水族館の大水槽でみているようで感激がない。たとえ小さなスズメダイでもマスクの前をひらひらとおよいでゆくのをみるのとはまるで違う。後者は極端なことを言えば人生観を変えるほどの感激があるが、潜水艦ではそれを感じることは出来なかった。
潜水を負えてハーバーに戻ると、乗船前にとった写真ができている。値段を聞くと二種類セットなら$20.00で、一枚なら$15.00だという。ずいぶんぼった話しだが、今後二度と乗ることはないと思いあきらめて$15.00を支払う。帰りの送迎バスまでは時間があるので、ロゴ・ショップに戻り、さきほど狙いを定めていた非常に美しいプリントのイルカのTシャツを買い求める。潜水艦ツアーの客は一割引のはずなので、尋ねてみるとやはりその通り。たとえ一割の$1.50でも安い方がよいに決まっている。
十二時半ころにホテルに戻り、ひさびさにまともな時間の昼食である。となりのホエラーズビレッジでサンドイッチを、娘は同じ場所で冷やし蕎麦(これは本物の茶蕎麦である)を食べるが、サンドイッチのパンはやはりもさもさして不味い。はっきりってコンビニのサンドイッチのほうが数段旨いといえる。
午後からはまたホテルのプールである。前日より時間が早いのでさすがに暑い。日焼け止めが必須である。しかし木陰にはいると涼しく、濡れた状態で日陰にいて風が吹くと寒いことに変わりはない。また、ジャパニーズの餓鬼の躾の悪さがひどく目立つのも昨日と同じだ。
プールでくつろぐ米国人をみていると、大人はデッキチェアに寝そべってペーパーバック(日本で言うところの文庫本だ)を読んでいる人が非常に多いのに驚く。彼らはこういうリゾートでくつろぐときには本を欠かさない。日常生活のなかでどの程度読書をしているかはわからないが、少なくともここでは読書に励んでいるように見える。日本人でもたまに文庫本をとりだして同じように読んでいる人を見かけるがその数は極めて少ない。
ここのホテルにプライベートビーチはないが、プールから続きでパブリックビーチに出ることが出来る。風が強くて波が高いのでレッドフラグがたっている。日本で言えばさしずめ遊泳禁止といったところだろうか。ここへきてからずっとレッドフラグのようで、ひょっとしたらこの季節のこの場所はそういうところなのかもしれない。
それでも泳いでいる人はいるが、ライフガードがいるわけでもなく、だれが止めるわけでもない。すべてオウンリスクなのであろう(とはいえ、溺れた人間が出ると騒ぎになり迷惑には違いないとは思う)。私と娘はプールから出てビーチに行ったが、浜辺で遊ぶだけにした。それでもたまに大きな波が来ると足元をすくわれそうになる。日本の著名な浜だと、砂浜は清涼飲料水の空き缶や山ほどの煙草の吸殻で反吐がでそうになる――私は特に煙草の吸殻が嫌いで遊園地のプールやメジャーな海水浴場には絶対にゆかない――が、ここは公共の砂浜であってもゴミはほとんどない。ゼロではないが日本の海水浴場に比べると限りなくゼロに近い。ワイキキの砂浜は日本人観光客が多いからどうだかわからないが、マウイ島のカアナパリの浜は美しい。そういうこともあって今回の滞在先もカアナパリを選んだのだ。
四時半頃部屋に戻り、早めにシャワーを浴びた。夜八時を過ぎるとになると皆がシャワーを浴び始めるので湯がぬるくなるのだ。熱めの湯が好きな日本人にはかなりものたりない温度になってしまう。混合水栓の構造が、湯だけを出すような作りではなく、最初に水を全量出さないと湯が出始めないのだ。火傷防止にはぴったりの構造だといえるが、もうすこし熱くなってほしい。
夕食は昨夜とは違うレストラン「ヴィラ・テラス」だ。ここは予約不要のドレスコード無し(つまり短パンにTシャツでもOKなのだ。そうでなければさすがにネクタイなどは不要だが、長ズボンに革靴、衿付きシャツは必須になる。ちなみにハワイの正装はアロハである。ネクタイにシャツという姿の人はブランドショップの店員くらいのものだ。
ヴィラ・テラスはシーフードレストランのビュッフェで、蟹をたっぷりと食べることができる。昨日のレストランもそうだが、ここも午後六時半までに入ると、通常は$27.50のところが、"EarlyBird"ということで一人$22.50になる。子供料金がユニークで、一律子供料金ではなく、ある程度の年齢以上は一歳あたり$1.50である。
唯一のそれらしいシーフードである蟹(種類はわからない)は、塩味がよくきいたもので多少大味ではあるが、ゆっくりたっぷり食べることが出来るのがありがたい。ほかに牛肉や鳥肉をグリルでローストしたものもメインディッシュの一つとして用意されている。グリルで焼くこともあって余分な脂分が適度にぬけて、焼き加減も丁度良くなかなか旨い。神戸牛の霜降りのような味わいはないが、さっぱりしているから結構沢山食べられる。霜降りは確かに旨いのだが、たっぷり食べるには脂っぽすぎる。あれは小量を味わって食べる物なのだろう。
この地で普通に食事をしていると、緑黄色野菜の摂取不足に陥りそうだ。ポテトなどは放って置いても食べる機会があるが、緑黄色野菜はなかなかそうはいかない。特に我が家は野菜のおかずを欠かさないことが多いので、よけいにそのように感じるのかも知れない。そんなこともあって、温野菜やフルーツは多めに食べるようにしていた。食べ過ぎ状態でもフルーツなら結構食べることができるからだ。サラダは日本のリゾートホテルや昨日のレストランのビュッフェより種類が多い。それも生野菜だけではなく、温野菜・フルーツ・蛸などをあえたマリネもあったりしてなかなかよろしい。
このホテルにはコインランドリーがあり、客が自分で洗濯できるようになっており、室内にはアイロン台とアイロンが備え付けて有る。今日は下着と水着をこのコインランドリーで洗濯したほうが良さそうだ。洗濯が約三十分で$2.00、乾燥が一サイクル$1.00、洗剤は自販機で$1.00(ABCストアで買えば数十セント)である。利用者の様子をみていて気付いたのは、米国人は乾燥が終わった物を、備え付けのテーブルの上に広げて、丁寧にたたんでから部屋に戻るが、日本人はまとめて袋にいれて持ち帰り部屋で畳むことが多いようだ。この日も米国人のご婦人が旦那のどでかいブリーフなどを畳んでいた。
室内設備ではアメニティグッズは今一つだが、コーヒーメーカーにコーヒー・紅茶・山本山の緑茶もあったりして量と種類は豊富だ。コーヒーメーカーで湯だけ沸かせばコンビニ(ABCストアやホテル売店)でカップヌードル(もちろん米国製)などを調達して食べることもできる。ちなみにチキン風味のカップヌードルを買ってたべてみたが、かなり日本の普通のカップヌードルのそれに近い味で全く違和感無く味わうことが出来た。日本から輸入された「ラ王」なども売っているがカップヌードルが$0.79に対して、ラ王は数ドルはするのでそんな高い物を買うまでも無かろう。マウイの三日目はコインラインドリーで幕を閉じた。
七月二十日。娘が砂糖きび列車(私達夫婦はハネムーンのときに乗っている)に乗りたいというので、午前中は砂糖きび列車で決まりである。
いつものように、クックス・アト・ザ・ビーチでビュッフェ朝食である。今日はロバート氏のテーブルではないのはちょっと残念。料理を置いて有る場所が一昨日・昨日とは変わっているのは何故だろう。料理の方は毎日少しずつ変わってはいるが、大きくかわりばえはしないから、長期滞在になると飽きてきそうだ。それでもフルーツは食べあきないので多めに食べ、パンは例によってもさもさしていてなおかつ大きいのでパンケーキにする。
ラハイナから砂糖きび列車のラハイナ駅までは、三日目に乗った二階建ての無料シャトルバスがある。このバスは運賃無料であるが、ドア脇に透明なアクリル製の寄付金箱があり、"Driver's retierment foundation"などと書いてある。運転手の退職金の基金というわけだろう。みていると日本人も非日本人も入れる気配はない。砂糖きび列車の運賃は往復乗車券(round-trip ticket)で$13.00ほどである。高いと言えば高いが観光用なのでこんなものだろう。まだ午前中なので日本人客は非常に少ない。これが午後になると、マウイ島についたツアー客がホテルチェックインまでの時間稼ぎを兼ねて日本人だらけになる。ほとんどの客は往復乗車券を買い求めている。片道を買って半端なところでおろさても戻るのに困るからだ。
さすがにこういった蒸気機関車はどこでもめずらしいとみえて、米国人のお父さん達もカメラやビデオ(みる限りは日本のメーカーの小型8mmビデオばかりだ)をかつぎ出しているところなどは、いずこも同じである。
機関車は小さな客車を連結して、のんびりした速度でがたごととかなりの揺れとともに、ラハイナからカアナパリのさきまで走る。所用時間は往復で一時間くらいである。行きは説明(勿論英語)を熱心に聞いているが、帰りはちょっと激しすぎるゆれであっても、眠気を誘うのには好適で、居眠りをしてしまった。これは一度はのって損はないが、二度、三度のってもあまり面白い物ではない。
ラハイナ駅からまたもや赤い二階建てバスでラハイナへ戻り、ワーフシネマセンタで食事を取る。何を頼んでも量が多いことがわかっているので、B.L.T(ベーコン・レタス・トマトを挟んだサンドイッチ)とフィッシュアンドチップス(白身魚のフライにポテトフライがついたもの)と、大人はアイスティ、娘はオレンジジュースだ。B.L.Tのパンは例のもさもさパンだが、トーストしてあるのでさほどまずくはない。パンの味気なさをフレッシュなトマトが補って、そこにカリカリベーコンの旨味が加わりなかなか美味しい。一応はメニューで自慢しているだけのことはある。これの三角版が四切れ(パンは三枚使用)とポテトフライで$4.50は妥当である。フィッシュアンドチップスは、揚げ立てのフライがあつあつで身が柔らかく美味しい。こちらは$8.00と結構高い。
カアナパリまでのもどりは、$1.00を支払うショッピングシャトルか、ツアー会社の定期バスのどちらでもよいのだが、どちらもいっこうに来る気配がない。日本ではないから最初から時刻表通りなどとは期待してはいないが、それにしても遅い。後からわかったことだが、一台が故障して間が抜けてしまったのだそうだ。やれられ、待ちくたびれた。ちなみにラハイナからカアナパリまでタクシーで行くと$7.00から$8.00程度、チップを混みでもせいぜい$10.00といったところらしい。
カアナパリのホエラーズビレッジに戻り、ABCストアでぼちぼち若干の土産を買う。ハワイアンホストのマカデミアナッツチョコは定番になり日本国内どこでも売っているので義理土産以外にはパス。同じハワイアンホストでもパッケージに猫の絵の描いてあるクリバンキャッツといちょっと高い方はまだ日本では売っていないらしい。前者はナッツが一つ半だが、後者は丸二個入っているという。
ラハイナの街は昔捕鯨の街であった。その当時の面影がラハイナのパイオニア・イン(マウイ島の観光ガイドを見ると船員の人形が写っている写真を必ずみかけるが、これが探しても見あたらない。どこかとおもったら実は通りの裏のハーバー側にあったからだ。
ここカアナパリのホエラーズ・ビレッジにも鯨の博物館があり、この地での捕鯨の歴史や鯨について知ることが出来る。ショップには掃いて捨てるほどの日本人がいるのに、この博物館にはほとんど日本人はいない。もっとも米国人も少ないのは事実なのだが……。
ここで役にたったのは、HP200LXに入れておいた光の辞典(英和・和英)である。さすがに鯨の博物館の説明を不自由なく理解できるほどの語彙は持ち合わせていないから、紙の辞書より素早くかんたんにひくことができる、LXでの辞書機能はとてもありがたかった。
余談だが、イッカクの説明のところで、日本名のローマ字読みが書いてあった。これが「Ikkaku」ではなく、「Ikkuka」になっていたのには苦笑してしまった。博物館見学をしていると腹が昼飯を要求してきた。ああ、腹が減った。
ここにもマクドナルドがあるのだが、メニューに特徴がある。飲物にはフルーツパンチがあり、食べ物にはサイミンがあるのだ。特にサイミンは$1.99と安いので、おやつ代わりに食してみた。注文するときに頼めば醤油と箸もつけてくれるのが愉快である。他にマクドナルド印の塩もついているが、結構塩あじが濃いので何も入れなくとも十分だ。食べてみると海老のスープがきいた、じつにさっぱりとした物で、ラーメンの麺のカンスイを抜いた物に、塩あじベースの海老スープを使った、和洋中折衷のような奇妙な食べ物だ。しかし、ハンバーガーとポテトに辟易したところなので、このさっぱり感が非常にありがたい。これで明日の昼は決まりだ。ちなみにこれらのほかに日本にないメニューとして、小袋入りのマクドナルドクッキーと同じくチョコチップクッキーがあり、妻は両方を指さして買い求めていた。
JTBのツアーだと(他社は知らない)、期間と曜日限定で無料の天体観測ツアーというのがおこなわれる。これは個人旅行では難しいことだ。昼間のうちに電話で予約しておいたので、所定時間の午後八時過ぎに集合場所へ行く。迎えに来たバスをみて驚いたのだが、なんと観光バス二台の人数である。皆が皆天体に興味があるとは思えないが、夏休み始まりと無料のキーワードが効いたのかも知れない。行き先はラハイナの南の海岸沿いにあるラニウポコという州立公園の中だ。バスがつくと天体望遠鏡が四台据え付けて有り、通訳や天文の専門家に警備員が待機している。観光地ハワイとはいえアメリカである。人里離れて人家も照明もない公園はさすがに恐い。ガイドの人も警備員のいるこの一角から離れない限りは安全だという。個人旅行で見知らぬ国の見知らぬ土地の、ひとっこひとり居ないような場所にレンタカーで行くのは自殺行為であろう。
この夜は生憎満月であり、月をみるには絶好の夜だが、星をみるには最悪の夜だ。望遠鏡で月をのぞくと周囲がもやもやとゆれている。これは大気の影響によるものだ。月本体は望遠鏡を通すとかなりの明るさで、長時間覗くと目がちかちかしてくる。
本当は娘に天の川を見せてやりたかったのだが、このコンディションでは無理である。説明していた米国人の専門家によれば、この季節は水平線ぎりぎりに南十時星が見えるらしいが、コンディションが悪くて見えない。肝心の天の川だが、月がなければどのあたりにみえるかと聞いてみると、蠍座の方向(これは銀河系の中心方向だという)から、北の方向に向かって見えるらしい。ちなみにオリオン座の方向は銀河系の中心とは反対側をさすらしく、この方向には星が少ないので、他の銀河を観察するにはもってこいなのだという。
とまぁ、こんなことを英語でべらべらとやられたわけだ。最初にお前は英語がわかるかと聞かれて、少しならわかると応えたもので、ゆっくりと分かりやすく話してくれたから、私のような英語音痴でも理解できたのである。この専門家はハワイ生まれのハワイ育ちらしく、日本からみるとこの星空がどんな風に見えるかぜひ見たいといっていた。残念ながら日本の都市周辺では都市の明かり(city lights)で本当に明るい星しか見えないといったら、大層残念がっていた。もっとも田舎のほうにゆけば結構見えるといいたかったが、そこまでは言葉がすぐにでてこなかったのである。この紳士は今回の旅行の中で、レストランのロバーツ氏とともに忘れられない人になった。別れ際に私から手厚く礼を述べ、握手の為に差し出した私の手を握ってくれたがっちりと大きな手の感触を忘れることはないだろう。旅とは出逢いである、と感じた一瞬だ。
残念なのはここでもジャパニーズのふらちな振る舞いが目立ったことだ。月明かりの中で皆が星を見ているというのに、その前で平然とフラッシュを焚くし(いきなりなので目がくらんでしまう)、クソ餓鬼はガイド氏や専門家が道具といっしょにおいていたケミカルライト――普通の懐中電灯だと明るすぎるのだ――を、スターウォーズよろしく振り回して、挙げ句の果てに持ち帰ろうとするし(これは立派な窃盗行為だ)、クソ馬鹿野郎の大人は綺麗な浜で煙草を吸いポイ捨てをする。浜だけかとおもえば林の中でもポイ捨てををする。これで火事になったらどうするのだ。こういう馬鹿な奴等は終生国外渡航禁止にすればよいのである。こういったマナー違反行為を輸出することはないのである。
とても気持ちの良い出逢いと、同国人としてとても不愉快な経験をした夜だった。
七月二十一日。マウイ島での休暇も今日が最後になった。明日は帰国であり、多くの人が帰りたくない病にかかる時だ。実際私も帰りたくない。
今日は娘と私はプールでのんびりとし、妻はホテルの隣のホエラーズビレッジで買い物だ。タオルを借りて娘とプールに出ると、やはり米国の人たちは肌を真っ赤にしながら、熱心に読書に励んでいる。本当に本をよく読む人達だ。といっても、子連れの親達はのんびりと本は読んでいられない。
子供達はプールで遊びたがるから、親達も一緒に入るか、そばのプールサイドに腰を掛けて子供達を見ており、絶対に目を話さない。やはり物騒な国だから普段からの習慣なのであろう。走り回って迷惑を掛けるジャパニーズの餓鬼やその親とはかなりの違いだ。プール内でも彼らは他人に触れてしまうと必ず詫びる。ちなみに小さな子でもエレベーターで先に下ろしてやると、ちゃんと礼を言う習慣が身についているのには驚く。米国人にとってハワイは、日本人にとっての沖縄のようなものかもしれない。だが、彼らは私達が五泊という短い滞在なのに対しもっと長い滞在らしい。私達の倍くらいは滞在しているのだろうか。それだけの期間カアナパリのホテルに滞在できるのだから、やはり多少は稼ぎの多い人達なのだろうか。ひょっとしたら、そういうところからもマナーの良さが出るのかも知れない。
昼食は、隣のホエラーズビレッジのマクドナルドでサイミンとフルーツパンチである。このフルーツパンチはさっぱりとして実に美味しい。ちなみにJALの機内サービスで出されるキウイベースのジュースであるスカイタイムも実に美味しい。これはJALの通販(http://www.jal.co.jp/)か有楽町のJALプラザで購入することが出来る。
今日はこの後遠出する予定もないので、ちょっとホテルめぐりをすることにした。ウェスティンマウイから南にはマウイ・マリオット・リゾート、ハイアット・リージェンシーマウイの二つのホテルがある。後者はハネムーンの思い出のホテルだ。
ハイアットは正面玄関を入るとちょっとしたアトリウムになっており、そこに植物が植えてありとても印象的だ。懐かしさで一杯になりホテルの中のショッピングアーケードや中庭から海岸側を散策してみる。残念ながらほとんど記憶にないが、ところどころは覚えていて、ここであの料理を食べたね、このプールで寝そべっていたんだね、などと妻と懐かしい思い出話に華がさいた。
ウェスティン・マウイはショッピングセンターのホエラーズ・ビレッジに近いこともあって日本人客が非常に多い。しかし、十一年前がそうであったように、今回もハイアットリージェンシーには日本人客が少ない。ロビーでもプールでもたまに見かけるだけだ。やはり多少ショッピング・センターから離れたところの方がいいのかもしれない。
妻は最初、次回は再来年だといったが、私と娘が断固来夏を主張した。来年はハイアットかそれともカアナパリからちょっと北にはずれたエンバッシー・スイーツでゆっくりするかだろう。ツアーを選ぶならやはり多少割高でもI'LLのほうが良さそうだ。まだカアナパリに居るというのに心はもう来年の夏のカアナパリにある。こういった楽しみがないとばかばかしくて働いていられない。家を構えてローンに終われるのも人生なら、年に一度海外旅行に行くのも人生である。どちらも一長一短だが、当面私は後者を選択したいものだ。
夕食はシーフードバイキングのヴィラ・テラスである。今日は肉を控えて蟹をたらふく食べることにした。といっても割って食べるのがだんだん面倒になってくるので、そうそう沢山は食べられない。見ていると蟹を食べるのは日本人の方が多少は上手いようだ。ここの子供料金は一歳につき子供は$1.50だとかいたが、前日は九歳であるといった(勿論英語で)にもかかわらず五歳になっており、今日はちゃんと九歳になっていた。nineとfiveは聞き間違えようもないと思うし、今まで私の発音で間違えられたことはなかったので不思議である。娘は日本人の同齢の子と比べても小柄で、顔立ちもより幼く見えるから(日本国内でも小学校一年生か二年生あたりと間違えられることが多いから、そのせいかもしれない。ちなみに娘の朝食はほとんど無料になってしまい、一回三枚三日分の朝食券で四回食べられた。ということは無料の年齢に見られたということである。
明日は帰国なので夕食後は荷造りと買ったものの計算である。小さい方のトランクはくるときはほとんど空だったのが、こちらで購入した子供服や若干のみやげ物、妻が買った化粧品で一杯になった。計算するのは税関申告の有無を確認するためだ。昔は計算はさほどややこしくなかったが、消費税施行以来なのだろうか、ややこしい。酒・煙草・貴金属などは買っていないのだが、それら以外でも同一品目で一万円を越えるものはとりあえず課税対象になり、消費税がかかるが、それらが二十万円以内なら非課税であるとまぁややこしい。使った金を全部合わせても二十万もいかないから、課税対象になるわけがないのだが、念のため計算して聞かれたときのためにメモしておく。実はこれが一番面倒な作業であった。
今夜はマウイ最後の夜である。ここは日本の海のような塩の香りがあまりしない。波の音もおもったより聞こえない。プールの滝も夜になると止まってしまい、東京ではありえない静けさが訪れる。
七月二十二日。はやくも帰国の日だ。朝七時十五分にバゲッジコレクションを依頼してあるので、それまでには身支度を整えねばならない。朝食はレストランにゆく時間はないので、日本から持ってきたJAL特製インスタントそば(やはり通販で買った)、コーヒーメーカーで沸かした湯で間に合わせる。このカップ麺は熱湯でなく比較的低めの温度の湯でも麺がゆだるのが特徴である。だが、どちらかといえばそば(「そばですかい」という商品名)よりうどん(「うどんですかい」という名前)のほうが私の好みにはあっているようだ。
時刻になってもバゲッジコレクションにくる気配がないので尋ねてみると、そのうち行くから荷物をドアの外に出して待っていろという。そうだ、ここは時刻にうるさい日本ではなく、時間を感じないためのリゾート地であったことを忘れていた。
八時二十分頃、迎えのバスがやってきて、荷物を積み込み我々をカフルイ空港にまで連れていってくれる。空港ではJTBの係員が荷物タグ(クレイムタグ)を付けてくれ、チェックインの方法などを説明してくれる。この時トラブルの原因が起こった。マウイ島に向かう前に帰国時の説明を受けたのだが、帰りには必ず「スルー」と言えと強く言われていた。
しかし、カフルイ空港についてすぐに成田へまっすぐ帰る人と、ホノルルのホテルに移動する人に分けられ、最初からいる係員がタグをつけているところへ、同じユニフォームのどこからともなく現れたオヤジがタグを付けて半券を私達を含む何組かの客に渡していった。私達の荷物にタグを付けたのは後者のオヤジなのである。最初から成田行きに分類されたので、スルーで頼むという暇もなくそこまで気も回らなかったので、これが頭に引っかかった。ちなみに他の成田直行客も言っていなかったようで、あとから来たオヤジにクレームタグを付けてもらった人だけが似たような目に合うはずだ。
十一時五十七分発のアロハ航空73便でホノルルまで付くと、借りていたツアー客専用の携帯電話を返却しにJTBのカウンターに行き、係員にその点を告げた。係員も驚いたらしく、名前と便名を確認しすぐに調べると言ってくれ、一応JALのチェックインカウンターでもその旨を告げてチェックしてもらうようにとの指示を受けた。個人旅行のトランジットやトランスファーでも荷物の一時的な行方不明はありがちが、私達のようなミスがあると可能性としては荷物だけ取り残されてしまう可能性がある。行きでないのが幸いで、帰りだから、最悪でも時間は多少かかって戻ってくればそれで良しである。現地のJALチェックインカウンターの係員は調べて、JAL側に着いていないようならゲートへ連絡すると言っていたので、まぁどうにかなるであろう。貴重品とHP200LXは手元にあるからそれでよい。
今、これを書いているのはJAL73便、ホノルル発成田行きの中だ。スクリーンでは日本未公開の「マイ・フェロー・アメリカンズ」(ジャック・レモン、ジェイムズ・タイナー主演、ピーター・セガール監督)をやっている。ちなみに行きは同じく日本未公開の「ザット・ダーン・キャット」(クリスティナ・リッチ主演、ボブ・スピアーズ監督)だった。見たいと思ったのは「ダンテズ・ピーク」はホノルル路線では上映されていない。
映画が終わると軽食(昼食は出発後一時間ほどで出された)だ。ここででたチキンサラダのロールサンドというのが美味しかった。パンはやはり胚芽パンみたいなものだが、もう少ししっとりとしている。挟んであるチキン(恐らくミンチ状にして野菜とあえたものだろう)がパンと良くあっている。荷物の方は今更気にしても始まらないからここは開き直ってのんびりするに限る。
機内では半分ほどの時間をこの文章を書いて過ごしたが、残りの時間は映画を見たり(JALだから日本語吹き替え付きだ)、マウイのホテルの売店で購入した「ロスト・ワールド」のペーパーバックを読み始めたりした。ホテルの売店ではほかにハワイの鳥類の解説本も購入した。$11.95とやや高価だがカラー写真で美しいので購入した。なぜこんなものを購入したかというと、ホテルの庭でチュンチュン鳴いていた雀に似た鳥のことを知りたかったからである。
そうこうしているうちに、JAL73便成田行きは無事着陸した。後述するが機中で小さな子供が泣き通しだったのには閉口した。小さい子供の場合は耳と鼻をつなぐ耳管が細いので、高高度を飛ぶジェット機の気圧の変化で中耳炎になりやすいのだそうだ。ちなみに泣き叫んでいた子供は、聞くともなく聞いているとマウイ島で熱を出して救急病院にゆき、三日間は医者に通ったのだという。小さい子には長距離で環境変化の大きい旅行はかなりの負担なのである。何週間もの長期滞在ならともかく、たかだか数日の滞在は無理があると断言できよう。小さい子を連れて行く人は、現地で子供がかならず具合悪くなることを覚悟し、健康のまま旅を終えることができたら、むしろとても幸運だったと思うべきだ。
さて、成田に到着し入国手続きを無事に終え、荷物引き取り(baggage claim)で待っていると、最初にでてくるエクゼクティブクラス(JALのこの路線はファーストクラスはない)の荷物に混じって、「○○...○○○(私のカナ書きの実名)様、荷物案内所までお越し下さい」というバカでかい札が乗っているではないか。これはやはり荷物がJAL73便に乗り損なったのである。
案内所にゆくと、ホノルルからテレックスが入っていて、二つのうち一つの荷物がJAL側で確認できなかったらしい。JALの女性係員に案内されて、ターンテーブルの周囲がすくのを待って、念のために荷物の確認をすると、あった、あった...一つだけ。それも土産をいれたほうの小さい方のトランクである。テレックスで確認できなかったと連絡があったほうのトランクが見つかって、特にコメントのなかったほうのトランク(こちらは主として着替えである)が、おいてけぼりを食ったようだ。
ターンテーブルの周囲がすくのを待っている間、係員に聞いてみたが、やはりトランジットあるいはトランスファーがある場合は荷物が乗り遅れたり、荷物が違う便にのったりすることはよくあるという。特に乗り継ぎ先の便が欠航(cancel)になったときに、多発するらしく、現に私の友人もそういうケースを経験している。他にはチェックインがぎりぎりになったときなどに、本人は搭乗に間に合ったが、荷物が間に合わなかったということもよくあるらしい。しかし、ツアーでこういうケースは珍しいのだそうで、やはり貴重な経験かもしれぬ。
仕方がないので、別送品の申請書を書き、トランクの番号錠の合わせ番号を教えて、キーを一つ預けてきた。考えようによっては自宅までの宅配便の二千円ほどが節約できてしまったことになる。こういうときはプラス思考でないと損だ。
これらの処理をしながらふと荷物台のほうをみると、やはり荷物が何もでてこないと嘆いている家族がいる。おそらくカフルイ空港で私達と同じ係員に処理をされた家族であろう。私達の場合は、ホノルルのJTBカウンターとJALのチェックインカウンターの両方に手違いが起こる可能性を告げておいたため一つは届いたのだが、彼らは気付かず何も処理しなかったから、荷物達はホノルルでおいてけぼりを食ったのである。
別送の処理を終えた私達は、JALの係員につきそわれてだれもいなくなった税関を、何事もなく通過した。トラブルではあるが貴重な経験がいくつかできた。次回は同じミスをすることはないだろう。人生何事も経験である。
さて、今回の旅も終わったが、次のようなことに気づいた。
また、夕方になるとブランドショップに若い女が集中するのも、これまた異様である。手に手にフェラガモ、グッチなどの袋を幾つも下げて闊歩するのは自由だが、見ていてあまりうれしくなるものではないし、強盗にとっては絶好の獲物である。あちらではお金持ちのご婦人が買うものばかりだから、当然日本人のギャルたちもおかね持ちであると思われてもしかたない。襲われても自業自得というものだ。その一方で雑貨的な店に出入りするのは米国人らしい観光客が多く、日本人はそういったショップではまず見かけることはない。どちらが見て楽しいものがあるかというと、少なくとも私と妻にとっては後者の方がはるかに楽しく気分がよい。日本人がはいってこないから、躾の悪い餓鬼もいなし、ぶつかってもムスっとしているオバアンやオヤジもいない。そういうところでは私達も自然に体を避け、礼や詫びをかかさないから、互いに気持ち良いのだ。ブランド漁りが悪いとは言わないが、冷静にみるとかなり異様に見える事は知っておいて損はない。
その他の教訓としては...
といったところだろうか。
また、今回の滞在で気付いたのは、車椅子を使わざるを得ないような障害をもつ人が、「当たり前に生活し、当たり前に旅行している」ことである。ブランドショップに入り浸りのギャルたちがこういうことに気付いたかどうか定かではないが、ちょっと注意して周囲を観察してみればすぐにわかるはずだ。ホテルでもラハイナでも車椅子の人を見かけることは非常に多かった。またほとんどどこのトイレでも車椅子で入れるように、広いスペースと手すりを付けたトイレがあり、手洗いも車椅子で使いやすいようにしてある。わざわざ車椅子マークなどをつけなくても、多くの場合普通に入れば、そういうトイレがあるのだ。同じ世界的に有名な観光地でも京都や東京にはそういった設備やインフラはほとんどないといってよく、障害を持つ方が自由に旅行するのはほとんど不可能だ。はっきり言ってこの面に関してはかなりの後進国だといってよい。いくらGNPがベスト3に入っても、貧しい国であるという印象は拭いきれない。
最後に、ツアーで乗り換えがある時は、係員の注意は素直に聞きなおかつ忘れないようにし、荷物とそれにつけられたタグにはご用心といった所だろうか。
来年の夏まで、マウイ島よ、さようなら。See you again.
長文を読んでいただき誠にありがとうございました。MAHALO(*1).
(*1) MAHALO : ハワイの言葉で、英語ではThanksにあたる。
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