第2日目

友人とともに

朝九時前に、部屋を出て "Ohana Maui Islander" の入り口のところでソファにかけて待っていると、友人夫妻の乗った車が現れた。

実は、出発前から友人から、「マウイで行ったことがないところは?」と尋ねられていて、「ハレアカラ国立公園のほうかなぁ、あとは、マウイ東北端のツアーでないと入れないらしいホノコワイの方かしら」なんて話をしていたのだ。そうしたら友人は「それではハレアカラ国立公園に行こう」ということになって、私たち家族と友人夫妻でハレアカラ国立公園に向かうことになった。

ハレアカラ山は富士山より若干低い程度の3000m級の山であり、サンライズツアーなどでは非常に有名なところだが、残念なことに私はもとより妻も娘もまだ行った事が無かったから、こんな嬉しいことは無い。私たちは、友人夫妻の言葉に甘えることなり、そして友人夫妻は私たち家族をピックアップにきてくれたのである。

ハレアカラへの道

私たちはラハイナを出発し、30号線をカフルイ方面に向かう。実は途中でとある寄り道をしているのだが、ここはプライベートなところに絡むのでここでは触れない。ともあれ、朝のラッシュもとっくに終わった30号線を快適に走り続け、マアアレアを過ぎて、途中から380号線に入り、カフルイ方面に向かう。そして、途中36号線を経て、37号線のハレアカラ・ハイウェイに入る。

37号線はそのまま真っ直ぐ行くとクラ・ハイウェイと名前を変えるが、ハレアカラ・ハイウェイとなっているほうは、途中で37号線に別れを告げ、377号線となってさらにハレアカラのほうへと続いてゆく。377号線となったハレアカラ・ハイウェイは、377号線を離れていよいよ登り坂が険しくなり本格的な登山道路である378号線となる。

途中、ハレアカラ牧場の間を道は抜けてゆくが、このあたりで一旦休憩を挟む。ちょうど馬が柵の鉄条網から首を出して、道端に生えている茶色くなった草を一心に食んでいた。その馬は道端の草が気に入っているのだろうか、首筋には鉄条網の刺で付いたらしい傷が無数に入っているが、当人(当馬?)は痛みを大して感じないのか、刺が首筋をなでてもそ知らぬ顔で草を食み続ける。

野生馬ではないから、私たちが近寄っていっても気にとめる風すらなく、ただひたすら草を食み続ける。おそるおそる手を伸ばして、顔や首筋、たてがみをなでてみるが、彼(彼女?)は全く無視して、とにかく草を食み続ける。正直なところを言えば、観光乗馬用でもない普通の牧場の馬をまじか見て、なでたりしたのは初めてである。まして、一心不乱に草を食み続ける馬をなでたのは生まれて初めてだ。

馬が半分枯れたように茶色く硬くなった草を食べると、結構大きな音がするのには驚いた。ガリッ、ガリッというか、ズリッ、ズリッというか、とにかくそんな風な意外に大きな音が聞こえてくる。

私たちは、その馬を背景にしたり、馬をなでながら交互に写真をとり、さらにしばらく飽きもせず馬をなでたりしてから、ようやく車に戻りハレアカラの頂上を目指した。

ダウンヒルツアーとのすれ違い

途中、何組かのハレアカラ・ダウンヒル・ツアーのツアーグループとすれ違った。ダウンヒルツアーとは、車でハレアカラの上間で行き、そこから自転車で一気に駆け下りるというツアーだ。

私はまだ参加したことがないが、情報によれば、まずツアー拠点となるところで自分が使うレンタルのマウンテンバイクや防寒着、ヘルメットなどのサイズをあわせて、自転車はトレーラーに積み込まれて人は車にのってハレアカラの上に向かう。

中にはこれを夜明け前にやって、山頂で夜明けを眺めたあと、マウンテンバイクで駆け下りるものもあるし、もう少し遅い時間に出て夜明けは見ないものもあるようだ。

山を下るといってもその山は富士山クラスの高い山だから、そこいらの丘を駆け下りるのとは訳が違う。もっとも、そこいらの丘と違って道路はサン著運まで綺麗に舗装されている(聞くところでは、以前山頂に軍施設を作る計画があり、その由来もあってか、軍がメンテナンスをしているそうだが、実際今もそうなのかどうかは知らない)から、別にでこぼこ道を必死になってマウンテンバイクで降りるわけではない。

どんな風に降りてくるかというと、起点(頂上付近であろう)から、ツアーガイドが先頭を切ってマウンテンバイクで降りる。ガイドは下りながら常に後ろに気を配り、異変があったらすぐにとめられるように気を配っている。ガイドに続き、同じ蛍光色(私がすれ違ったグループは皆黄色だった)の防寒儀を北ツアー客がマウンテンバイクに乗って駆け下りる。そして、最後部を自転車を積んでいたトレーラーが固めて、万が一の転倒などにより取りこぼしを防いでいる。おそらく先頭のガイドと最後尾のトレーラーは常に無線で連絡でもとっているのだろう。

私は、ツアーの存在は知っていたがどんな風に降りてくるのかしらなくて、勝手に降りてくるか知らん、ずいぶん不安だ事、とか思っていたが、これならかなり安心である。もちろん、自転車乗りの技量として平地でまっすぐ走るのがやっとなんて人は参加対象外であるのはいうまでも無い。ただ、残念なことに日本語でのダウンヒルツアーは無いようだ(日本語の説明を配ってくれるところはあるらしい)が、幸い私の場合は、言葉はなんとかなるから、これは是非一度参加してみたいものだ。

頂上

どのくらい走っただろうか、時計を見ていなかったので覚えていないが、どうやら高山病になることもなく、無事に頂上に到着した。

頂上が寒いのは想像がついたので、長袖の厚手のシャツを持ってきたが、下のほうはうっかりショートパンツのままであった。シャツをもって車外に出るとこれは想像以上に寒い。すぐにシャツを着たのだが、前をはだけていては寒いので前ボタンを止めるが、いかんせん足元がショートパンツだから足元を冷たい風がなでてゆくのでとっても寒い。

後ろを向くと、発見されている限りにおいて、世界中でマウイ島のハレアカラ山のある高さ以上しか生えないという、シルバーソード(silver sword:銀の剣)という植物が保存のために植えられており、それをまじかに見ることができた。この植物は、形容しがたい形状だが、あえていえばアロエの刺をとって色を緑から灰色というか銀色っぽい色にしたもので、アロエのように葉が外側に向かって広がるように生えるのではなく、全体としてまるっこい型になるような感じで葉が伸びている。

中にひとつ花が咲いているものがあったが、花はその「アロエ」の中心部から茎のようなものが伸びてきて、高さは2m以上はあるだろう。その茎のようなものから、鈴なりにピンポンだまのようなくらい紫色の花が咲いている。説明を読んで驚いたのは、これはなんとひまわり(sunflower)の仲間なのだとう。言われてみれば、茎がまっすぐ伸びて高くなるところなどはそうかもしれないなぁ、などと思ったりする。

私たちはしばらくシルバーソードを眺めて写真をとり、展望台に向かった。展望台はガラスに囲まれて屋根もあり風が防げるので、とりあえず寒さは一段落というところだ。ここからは、ハレアカラの南方面だろうか、渓谷が非常によく見える。なんでも、ここから徒歩で途中キャンプをしながら、ハナの方まで降りてゆくことができるらしい。

そうこうしているうちに、時計はランチタイムを指し、腹時計もランチタイムだと騒いでいるので、ハレアカラの頂上とシルバーソードに別れを告げて、友人手作りのサンドイッチランチをご馳走になるべく、ハレアカラを後にした。

オリンダ (Olinda)

ハレアカラを下って向かった先はオリンダ方面だ。オリンダとはどのあたりかというと、ハレアカラの頂上からハレアカラ・ハイウェイを下り、370号線に入って370号線をカフルイ方面に行くと、すぐに365号線が右に分岐するので、365号線をマカワオの方に向かうと、右手にオリンダ・ロードがある。このオリンダ・ロードを登って湯行くとオリンダのほうになるわけだ。早い話が、ハレアカラ・ハイウェイの北東側のほう(の一部)がオリンダとなる。

友人がマウイにきて最初に居を定めたのがオリンダにある借家だそうで、その近くに松林があるから、そこでランチを取ろうということのようだ。オリンダロードに入って、数え切れないほど(これは決して誇張ではない)道を曲がって右折、左折を延々繰り返したあげくにたどり着いたのがオリンダの松林だ。

私達5名は車からおりて、松林の中に入っていった。松林というとうっそうとした暗そうな感じを受けるのだが、実際には日本の松林とは何故か雰囲気がちょっと違って、松も横に広がるよりは杉のように上にまっすぐ伸びる感じなので、雰囲気として松林というより杉林に近いものがある。

地面はどこをみても土が直に顔を出しているところはほとんど無くて、茶色くなった松の葉の細く長い葉が敷き詰められている。これが見事なまでに地面を分厚く被い尽くしているから、その上を歩くととても気持ちが良い。やはり人間はコンクリートの上を歩くようにはできていない、人が歩くべきは土の上であり枯葉の上なのだとしみ時と感じた瞬間だ。

周囲を見ると私達が入ってきた松林の入口方向を除けば、どこをみても一面の松葉の分厚い絨毯と松林である。物音はほとんどせず、ときどき風の音が聞こえてくるだけだ。がさがさと足音がする方向を見ると、地元の人が犬を連れて散歩に入っていった。入口の注意書きを見ると、こういう場所だから火気厳禁なのは当然として、犬の散歩は禁じていないがリードをつけずに散歩させることは禁止している。つまり繋いでいればOKということだ。

私達は奥へ入ってゆき、ベンチ代りになる手ごろな松の倒木を見つけてそこに腰をかけた。ランチは友人手作りのサンドイッチランチだ。私はターキーハムを頂き、これに別途スライスしてあるトマトを挟んだ。このターキー(七面鳥)というのは、チキンより味が濃厚だし、ビーフよりローファットでローコレステロールだ。このターキーの肉で作ったハムがターキーハムで、ハワイのスーパーだと普通に売っているのだが、いかんせん日本だと麻布にあるナショナル麻布あたりにゆかないと手に入らないのが残念である。

ターキーハムのサンドイッチを食べながら周囲を見渡すと、松の幹や枝の形も実にさまざまであるのに気づいた。大抵はまっすぐ伸びているのだが、中には幹がスパイラルに渦を描くように伸びているものがあったり、枯れて自然に落下した枝が途中に引っかかっていたり、二又に分かれていたりと実にバリエーションに飛んでいる。

松林だから下を見ると松葉の絨毯の上のあちらこちらに松ぼっくり(pine cone)が落ちているが、日本でよく見かけるものとはやや形が違う。これはおそらく松の種類が違うからであろうが、日本のものは比較的丸っこい形が多く、松かさも柔らかな丸い感じだが、ここの松ぼっくりは、パイナップルのように細長くて、松かさには刺のように尖った部分があり、うっかりつかむと痛かったりする。

マウイというと太陽がさんさんと降り注ぐ輝くビーチ、高級リゾートホテル、ハレアカラ、天国のハナあたりを想像してしまうのだが、おそらくマウイでもこの付近に住む人しから知らないであろうオリンダの松林はとても素敵なところである。もちろん場所から考えても日没後にくるところではないのは確かだが、昼間は実にいいところである。日本人も含めてほとんどの観光客は知ること無しに終わるであろうこの松林でのランチは、私や家族にとって忘れられないマウイの大きな思い出のひとつとなった。こういう素敵な場所に案内してくれた友人に改めて感謝。

エンチャンティング・フローラル・ガーデン

腹の虫も、友人手作りの美味なるサンドイッチランチによって黙らせたあと、私達一行はオリンダの松林を後にして、再び数え切れないほど曲がってから向かったのが、エンチャンティング・フローラル・ガーデンである。

ハワイというと南国でまぶしい太陽がさんさんと降り注ぎ、椰子の木と高級リゾートホテルが立ち並ぶというイメージがあるかもしれない。実際、それが元々のハワイの姿かどうかという議論はさておくにして、現在のハワイの一面を象徴する描写のひとつであることは確かである。

それにハワイといえば、ハイビスカス、南国特有のいろいろな花が咲き乱れるようなところもあるに違いないと期待する方も多いかもしれない。しかし、実際にさがしてみると、確かにハイビスカスやら他の花々はところどころに見ることができ南国情緒を感じるのだが、花咲き乱れるような場所は意外に無いことがわかるであろう。

たとえば、オアフ島にあるフォスター・ボタニカル・ガーデンというところ、文字通り植物園なのだが、これが花咲き乱れるようなところかと想像すると大間違い。私の経験の範囲で一番近い存在が、東京の小石川後楽園である。実際、私はフォスター・ボタニカル・ガーデンへ行った翌年に、小石川後楽園を訪れてみて、まっさきに記憶によみがえってきたのはフォスター・ボタニカル・ガーデンなのである。どちらも、木々が多く緑がうっそうとした静かな場所であるが花は少ないのだ。

だが、エンチャンティング・フローラル・ガーデンは違う。ここは、ハワイだけではなく、南国のこの地(マウイ島のクラで標高1000mくらい)の気候で育つ植物が一同に集められているのだ。ここを運営されているのはかなりお年を召された日本人夫婦の方で武田ご夫妻だ。

一人につきUS$5の入園料を支払って園内に入ると、いきなり8エーカー(約3万2千平方メートル)もの広さの園内が色とりどりの花であふれているのが目に入る。私の勝手な思い込みかもしれないが、ハワイの植物園でこれだけの花を集めて私達の目を楽しませてくれるのは、おそらくここだけではないだろうか。

武田さんご夫妻は植物や園芸に対しては大変造詣の深い方で、その知識の豊かさは、武田さんの著作である「ハワイの花300種ガイド」を見るとわかる。これは単なる植物図鑑ではない。この本を作るために武田さんはハワイ諸島を駆けずり回られたのである。他にも武田夫人からは貴重な話をいろいろ伺うことが出来た。マウイの地元の人を相手にこうしたフローラルガーデンを入園料だけを収入にして経営していくのがいかに大変か、その一端が垣間見えたようなような気がした。実際、いろいろな方からハワイで地元相手に商売を成り立たせるのは大変だと聞いたことがあるが、やはりその言葉は本当なのだ。

もっとも、ハワイに限らず自分で商売を経営してゆくのは大変なことは確かだ。下手すれば借金だけしか残らないのはいずこも同じだが...。

エンチャンティング・フローラル・ガーデンで有意義なときを過ごした後、友人は私たちを宿(オハナ・マウイ・アイランダー)まで送ってくれて、明後日(明日は私たちは東マウイ一周ツアーの予定)も自分達は空いているから、良かったら電話をくれといってくれた。私たち家族のために貴重な一日を割いてくれて、ピクニックランチまで用意してくれた友人夫妻に大感謝せねばバチが当たるというものだ。

デニーズ in ラハイナ

友人と別れたあと、今夜の夕食はラハイナ・スクェアにあるデニーズにした。妻はオノのサンドイッチ、娘がサイミン、私はテリヤキバーガーだが、まあ、美味いとはいえないし、激マズということもない。とりあえず、腹の虫を納得させる効果だけはある。

もっとも、ファミレスなんて日本だって似たようなもので、美味くも無ければまずくも無い。毒にも薬にもならないといったところだ。しかし、ここのデニーズはいつ来ても空いているのだが、そのうち無くなってしまうんじゃないだろうか。

(第2日目終了)

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