第6日目

アリゾナ・メモリアル

私が今回オアフに来るに当たって、是非娘に見せておきたかったものの一つがアリゾナ・メモリアルだ。ここに来るには日本人としての歴史を考えると、複雑な思いになることはさけられないが、私は無論戦後世代だし、娘はなおのこと戦争とは縁遠い世代から、かつての敵味方の枠を超えて、戦いとはどういうものであったのか、ひとつの戦いを日本側から見ることだけではなく、相手の側から見るとどうなるのか、偏りの少ない歴史の見方を身に付けるひとつのチャンスであると考えていたので、ぜひアリゾナ・メモリアルへつれてゆきたかった。

今日は、家族で朝5時に起きて7時台のバスでアリゾナ・メモリアルへ行く予定だ。それは遅くなると混雑してくるし、映画「パールハーバー」の影響で平年以上に混雑することが予想されるからだ。

アリゾナ・メモリアルでバス停を降りたのが、8時半ごろだった。通りを渡りメモリアルのほうに向かってゆくと、昨年はまだ人も車も閑散としていた駐車場やその脇の歩道に、車と人があふれているではないか。最初は何か違うのではないかと思ったが、近づいて見るとまさにアリゾナ・メモリアルへの入場待ち行列だ。その数と昨年の経験からして、これでは数十分どころか、最低2〜3時間は必至で下手すれば、入れるのは午後になるのではないかと思えるくらいに並んでいた。

これは実にタイミングが悪い。私は映画「パールハーバー」のヒットを呪った。このまま待つのも選択肢の一つであることは間違いないけれど、それによる疲労を考えると見合わないと判断し、アリゾナ・メモリアルは逃げてゆかないから、また次回来た時に尋ねてくればよいと、今回は見送ることにした。

アリゾナ・メモリアルは見送ったが、となりのU.S.S.BOWFINは見せておきたい。現役潜水艦ではないし、大型の原子力潜水艦でもないが、近代的な潜水艦の中に入れるチャンスは、めったにないからだ。私たちは「ボーフィン・サブマリーン・ミュージアム・アンド・パーク」へと向かった。といっても駐車場を挟んで徒歩1分くらいのものだけど...。

ボーフィン・サブマリーン・ミュージアム・アンド・パーク

USS BOWFINに入る前に敷地内になるサブマリンミュージアムを見る。私は二度目だが妻と娘は初めてだ。まあ、極端に興味を引くものがあるわけではないが、初期の潜水艦からのモデルなどが見ることができて、そこそこ興味深い。そして順路なかほどにU.S.S.BOWFINの内部を見ることができる精密なモデルがあり、これからここを見るのだよと子供に説明する。

博物館を出てから、USS BOWFINのほうに移動だ。ここは、「2000/10 マウイ+オアフ」の旅行記でも書いているので詳細は省略するが、潜水艦に関するちょっとした私設博物館と第二次大戦中に活躍した潜水艦「USS BOWFIN」の甲板と内部の前部魚雷室から後部魚雷室に至るまで、ほぼすべてが見学できる。

何度見ても、この狭いところで何ヶ月もすごさねばならなかった兵士達の苦労と忍耐はさぞや大変なものだったろうと思う。入口で借りた案内カセットテーププレーヤー(英語)を首から下げ、ヘッドフォンを耳につけてU.S.S.BOWFINの元館長の解説を聞きながら見学を続ける。妻と娘はカセットを借りなかったので、かいつまんで日本語にして潜水艦内部の説明をしてやる。

私などは「兵器」であるとはいえこうしたメカをみているとワクワクするところがあるのだが、どうも女性人はあまり興味はないようで、すんなり通り過ぎてしまうことが多いのは、生まれ持った遺伝子のなせる技だろうか。せっかく滅多にないチャンスなのになぁ、とか思うが、興味が薄いものは仕方あるまい。

USS BOWFINを出たあと、ミュージアムショップをうろうろしてUSS BOWFINの入口で貸してくれる解説カセットテープと同じ物を買い求める。その名も「USS BOWFIN TOUR」というカセットで価格は$7.95だ。

そしてしばらく休憩したあと、私たちはボーフィン・サブマリーン・ミュージアム・アンド・パークを後にして、パールリッジセンターの行くべくバス停へと向かった。

パールリッジセンター

アリゾナ・メモリアルのバス停に行き、しばらく待ったあとやってきたバスが20の「PEARLRIDGE」であるので、これに乗り込んでほぼ終点まで行けばよい。降りるタイミングは、20ならば終点まで言っても良いが、その手前右手にシアーズのあるダウンタウンの建物が見えてくれば降りるほうが便利だろうということで、そこで降りればダウンタウンに近い。

と、思っていたのだが、シアーズのサインが見えないままバスの中からは人が少なくなり、ふと気づくと私たちだけになっていた。これはどうしたことか?パールリッジが終点のルート20のバスなのに、妙なところでバスがとまり運転手には終点だから降りろと下ろされてしまった。

バスを降りて周囲を見渡すが駐車場とちょっとしたレストランと、ちょっと先にCircuit Cityという何かわからないものが見える。おい、おい、ここはどこだ?まあ、帰る分にはタクシースタンドを探すか、それがなければタクシーを呼べば済む話なので、別段困りはしないのだけど、パールリッジセンターはどこなのか?今私たちがいるのがどこなのか、それがわからないと困る。

そこに立っていても仕方ないから、手じかに見えたCircuit Cityのほうに行ってみる。入ってみると、そこはミュージックショップと家電&コンピュータショップのようで、中を見てみるがたいした物が無くて早々に出る。外にでてふと右手を見ると「Liberty House」のサインがとなりの建物の壁面に見えるではないか。ちょっと待て、パールリッジ・センターにはアップタウンにリバティハウスがあったはずだ。ひょっとしたら、ここが...

そう、ここがパールリッジ・センターだったのだ。ルート20のバスのパールリッジ行きの終点停留所がこのパールリッジセンターの裏手のようなところにあるので、それが分からなかっただけである。

まずはリバティハウスだが、ここは特にみるものも無く、さくっと一通り見て出る。娘のサンダルがはきにくいというので、ちょうどよいからここで新しいのを買おうということになってフットロッカーのあるダウンタウンへ向かう。

アラ・モアナ・センターはもとより、カハラ・モールなども大手ツアー会社の専用シャトルバスが立ち寄るところであり、ワイキキから近いこともあって結構日本人観光客が多いのだが、さすがにパールリッジ・センターはワイキキから距離があるし、ツアー会社のバスも来ないので、ここにはほとんど観光客はいない。いるとはおもうが、すくなくとも私たちはそれらしい人を見かけることは無くて、みな地元の人ばかりであった。

アップタウンの建物からダウンタウンの建物へは歩いていってもいいけど、せっかくだからショッピングセンター内を走るモノレールに乗る。一人一乗車25セントを払ってホームに入り待つことしばし。小さなゴンドラのような車両が何台かつながった可愛いモノレールがやってきた。

ダウンタウンのモノレールを降りてすぐのところにフードコートがあり、丁度よいから昼食にしようということになった。ここは超平凡にマクドナルドで済ませる。ただし日本のマクドナルドにはない、サイミンと容器ごとシャカシャカ降ってドレッシングを混ぜるサラダ(正確な名前は失念したが、おそらく「グリルド・チキン・シザー・サラダ」だったと思う)は忘れずに注文した。

お腹も満足したので、まずは歩きにくいと主張する娘のサンダルを買いに、フットロッカーキッズに入る。ここでいろいろ見た結果ナイキの黒のサンダルが娘の気に入ったようで、それをサイズを合わせてそのまま履いて帰るからと店員に告げる。すると、今店内では二速買うと安いほうが50%オフになるわよ、というので、それじゃぁ、ってことでスニーカーをさらに一足追加した。価格的にはスニーカーのほうが高かったので、サンダルが50%引きになり、古いサンダルと新しいスニーカーを袋にいれ、新しいナイキのサンダルを早速履いた娘をつれて店を出た。

しかし、このパールリッジ・センターというところは広い。広いけど日本人観光客は非常に少なくて地元向けの店が多いから、これは私たちにとってはとても楽しい。ただ、ルート20または42のバスでクヒオ通りのASTON PACIFIC MONARCHの前から1時間15分ほどかかるのが難点だが....。ここは、次にオアフにきたときにも是非また来たいところのひとつだ。

ダウンタウンを出てハイウェイの信号を渡りワイキキ方面行きのバス停に行く。ここでバスを待っていると、ネクタイを締めた自転車の若い二人ずれがやってきて声を掛けた。これは宗教系の布教活動のお兄さんのようで、私には縁がないからお断りしたら、さらに近くにいた人に声を掛けてから彼らは走り去った。待つことしばし、42のワイキキ行きのバスがやってきた。

一日の終わり

Route42のバスに乗ること1時間と少々でバスはワイキキまで戻ってきた。いつものバス停でバスを降りて向かったのはフードパントリー。フードランドより高いし鮮度もやや落ちるが、それでもロケーションが宿に近いから便利なことに違いない。

ここで、アヒポキと豆腐(高いのを買うとかなり美味しい、日本の豆腐よりずっと美味しい)、サラダなど夕食の材料を買い求める。

OHANA MAUI ISLANDERの部屋は広くていいのだが、キッチン設備が古くてイマイチなのが最大の難点である。その点、このASTON PACIFIC MONARCHのキッチンは小さいけどまとまっているし設備も整っているから、妻も何かやるきになるらしい。ただ、ここは換気扇がないから、肉とか焼くと結構大変なことになりそうなのは問題だ。

部屋に戻ると電話のメッセージランプがついていて、何かと思ったら荷物が届いているという。早速フロントに下りると、FedExのパッケージを渡してくれた。差出人は "Big Island Candies" 。

そう、出発前に発注しておいたやつが、ちゃんと滞在中に届くようになっていたのだ。部屋に持ち帰り空けてみると、緩衝材の中から注文したとおりの箱入りクッキーが出てきた。うれしい!ここのクッキーは美味しいもんね!日本からこれだけ発注すると送料で70ドルは取られるだろうけど、州内だから送料は10ドルで済んだのである。これでちょっと気になっていたことは全部クリアになった。

(第6日目終了)

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