第8日目

DFSギャラリア

私が一人で来ると最も近寄らない(入らない)場所のひとつがDFSギャラリアである。実際問題、ここで欲しいものはほとんどないし、ここだから安いというものも私の場合はほとんどないに等しいからだ。それでも家族で来ると、そうそうわがままはいえないので、朝食をとった後、航空券をもってカラカウア通りの新装なったDFSギャラリアへ行く。

1Fの受付で航空券を見せて入場カードを作ってもらい中に行く。しかし、ここに入って買い物をするとしたらそのほとんどは日本人だろうけれど、一体全体こんなに豪華な店を作って商売として成り立つのかしらと逆に心配になってくる。日本人も昔ほどは免税品に目の色を変えなくなっているし、明らかにDFSギャラリアにおける一人当たりの購入金額はさがっているのではないかしら。

実際、入ってみても夏休みだというのに混雑していなかった。ここの店は免税品売り場には入ったが最後、最後まで売り場を通らないと行かないと出て来れないという、セコイ仕組みになっているのが気に食わない。商売として気持ちはわかるが、とにかく上のほうまであがらないと降りて来れないというはいかがなものかと思う。そういう殿様商売はいずれ痛い目に会うに違いないと思うのは私だけだろうか。

ここではさすがに免税品は特に何も買わず、妻は化粧品、娘はルーニーチューンズのキャラクタリストウォッチを購入、私は妻のすすめでネクタイを購入した。免税品となる酒やタバコの売り場は閑古鳥が鳴いており(当然だろう、特に洋酒などは近頃は日本でも随分安く買えるから、重い思いをして買ってかえることもない)、他の売り場も人があまり多くなくて、このDFSギャラリアの先行きが危ないかもしれないことを匂わせているように感じた。

ちなみに、マウイのホエラーズ・ビレッジも1997年に比べたら夏休み時であるにもかかわらず、日本人は相当少なくて、ホエラーズ・ビレッジDFSギャラリアなんかも全面的に閑古鳥が鳴いていた。この調子だと、DFSギャラリア・ハワイが大幅店舗縮小をするのもさほど遠い先ではないのではないか、というのが私の感想だ。

後日談になるが、米国同時テロ、それに続く炭疽菌騒ぎで日本からハワイへの客は10月中旬になって、テロ直後を除けば最悪の数字となり、昨年同時期の半分以下、六割減にまで落ち込んでしまった。前述のような日本人相手のお店はもろ経営の危機を迎えているのではないかと危惧している。

ロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センター

別にロイヤル・ハワイアン・ショッピング・センターで買い物をするわけではないが、妻がフリーのショッピングバッグをもらえる引換券を持っていたので、それを交換するために立ち寄った。丁度土曜日ということで、いろいろなフルーツやアイスの試食などをやっていたが、なかでもアイスの試食は、ワンスクープを丸ごとひとつ入れてくれて、日本的には試食というにはかなりの大盤振る舞いだが、ありがたくかつ美味しく頂戴し、このときはなんでもビッグなアメリカンサイズに感謝した。

この後私たちは一旦宿に戻り、買ったものを宿においてから、友人と会うべく友人への土産を持って再び部屋を出た。

友人

マウイでも友人夫妻と会ったが、ここでもホノルル在住のアメリカ人夫妻とあうことにしていて、到着翌日に電話で日時と場所を決め長話をした相手である。

約束では彼らが迎えにきてくれるというので、宿のロビーでしばらくまっていると、フロントの係りが私たちの名前を呼ぶので何かと思ったら、「レディから電話があって、Mr.XXXX (私の苗字)に十数分ほど遅れると伝えて欲しい」ということだった。

待つことさらに十分ほどで友人夫妻が現れた。夫妻と握手を交わし早速彼らの車に乗り込むと、奥様から娘やわれわれにプレゼントが用意されてて、大好きなKona Coffeeや娘の好きなルーニーチューンズのトゥイーティーのキャラクタグッズなどが入っていた。私たちは、事前に彼らに好みを聞いて持ってきた煎餅(実は彼らの好物であるが、ハワイではなかなか日本のように美味しいものがないという)などを渡して、ちょっとしたプレゼント交換だ。

アランチーノ

彼らが連れて行ってくれたのは、ANAカラカウアセンターの近くにあるイタリアンの店、アランチーノである。ここは夜はかなりの待ち行列が出来るという人気の店で、ランチも込み合うが、友人がここのオーナーと知り合いだということでテーブルを抑えておいてくれて、私たちはすぐにテーブルにつくことができた。

ここで、シーフードスパゲティ(娘)、ミートボールスパゲティ(妻)、ラザニア(私)を頼んだが、友人が自身をもって勧めるだけのことはあって、価格設定は高めだが味はかなり良い。ディナーでは行列が出来てしまうのも理解できる。

いろいろなWebサイトでもここの評判は上々なだけあって、ハワイのイタリアンとしてはかなり美味しいほうではないかだろうか。あくまでハワイで食べられる料理を基準に相対的に独断と偏見で考えた場合、ということだが....。ただ、シーフードスパゲティが$15というのは、物価の高いワイキキエリアとしては致し方ないかもしれないが、でも、やはり高いといえるだろう。

ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ

アランチーノで友人に昼食をご馳走になってしまった私たちは、友人夫妻とともに近場を散策することにした。

アランチーノの前のとおりをそのままビーチまで歩き、フォート・デ・ルッシー・ビーチ沿いをのんびりと、いろいろな話をしながら歩く。このあたりのビーチはもっとも日本人が大勢いて混雑するクヒオ・ビーチに比べれば随分人が少なくなる。彼によればこのあたりは、軍施設が近くてコケイジャン(いわゆる白人)が圧倒的に多く、日本人などの東洋人は少ないのだという。人種差別というわけではないだろうが、ハワイといえども、やはりどこかに人種の壁があることは否めないのかもしれない。

ビーチ沿いをしばらく歩いたあと、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジの中に入り、さらにここの庭園を散策するが、この中もかなり広い。白鳥や黒鳥をはじめ多くの鳥と植物がいて、都会のワイキキの中で何かほっとする空間である。友人は、この場所がお気に入りで、勤務先がこの近所であるため、ランチタイムなどによくこの中を散策するのだという。

ヒルトン・ハワイアン・ビレッジというホテル、私は泊まった事はないし、今後も利用するとは思えないが、この庭園は散策には実に手ごろである。

友人によれば、この近くにあるラーメンなかむら(2141 Kalakaua Ave.)は、友人によれば美味しくてお勧めだという。さすがに今はアランチーノで食べた直後なので、次回機会があれば立ち寄ってみることにする。

友人はこのあとラニカイ・ビーチへ行ってみようかと誘ってくれていたのだが、残念ながら当方は今日が最後で、家族旅行の宿命でもあるお土産調達行事がこのあと待っているので、その旨を伝えて、次回われわれがきたときには、是非お願いしたいと伝えて、今回はラニカイ・ビーチを断念し、お土産調達のためアラ・モアナ・センターまで送ってもらうことにした。そして、アラ・モアナ・センターJ.C.ペニーのところで、車を下ろしてもらい、私たちは固く握手をして、次回私たちがきたとき、そして日本ファンの彼らが次回日本にきたときに再会することを約束して別れを告げた。

お土産調達

この後は、お土産調達だが、お土産といっても周囲の人にいろいろ買うとうよりも、自分達が欲しいものを買うというほうが主目的だ。私と妻はクレージーシャツでTシャツを、特に私は前からシャーカのTシャツが欲しかったのでそれを購入、そのあとコンプリートキッチンで可愛いバターナイフを追加購入したりしたが、ここで妻と私+娘にしばらく別れて別行動だ。

妻はリバティ・ハウスのセールを見に行きたいといい、娘はちょっと玩具屋さんを見たいというので私が娘に付き合うことにした。妻は結局洋服のセールでは何も買わず、クリニークでハッピーのボディウォッシュを買い、私と娘のほうは娘の探すミニカーがなくて(ハワイで見かけたあの日本では見ることのできないアメリカンなゴミ収集車のミニカー)断念して、妻と合流。

夕食に、美味しい「パティーズ・チャイニーズ・キッチンで、"to go"にしてもらい宿へ戻り、一旦荷物を置いた後、今度は近くのABCストアで若干の買い物をして、滞在中のABCストアのレシート合計が200ドルを超えたので、景品のカレンダー2冊をもらって帰ってきた。

今日はハワイ滞在最後の夜になるということは、このあと待ち構えているのはただひとつ。それはパッキングである。いつも、来るときにはLサイズのスーツケースと一回り小さいスーツケースの二つだが、帰国のときは持ってきたスペアバッグを広げて合計三つになって帰るのが通例だ。今回もパッキングする前から、スペアバッグが必要なのは火を見るより明らかであったが、案の定三つになった。

(第8日目終了)

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