「お替わりはいかが? 〜1302〜」

1999.01.26 (Tue) ==========================

□ 肌が合う土地 〜1〜

 「肌が合う」とか「肌が合わない」とかいった言葉がある。自分の性質と合
う、気が合う、気に入るとかいった純粋に主観的な感覚の表現だ。対人関係に
この言葉を持ち込むならば「肌が合う」というのは「馬が合う」といった言葉
に近いかもしれない。しかし互いにフィットするというニュアンスは「肌が合
う」よりも「馬が合う」ほうが強くて、後者のほうは意気投合するとか意味が
強くなる。

 人は性格や好みが百人百様であるから、当然互いに「肌が合う」と感じる組
み合わせや「肌が合わない」、酷くなると「犬猿の仲」なんてのも存在するわ
けだ。だが私が思うにこういった「肌が合う」とか「肌が合わない」という感
覚は人に対してだけではなく、自分の周囲のありとあらゆるものにあてはまる
のではないかということだ。考えてみれば当たり前の話であって、意識的にせ
よ無意識にせよ好きとか嫌いといった感情や嗜好の現れなのだから、およそ自
分と関係のある生物・無生物全てに適用できるだろう。ただ言葉としてそうい
う表現をするかしないかということではないか。

 だから、土地というか地域というか、そういうものに対しても「肌が合う」
だの「肌が合わない」という表現もできよう。そうして考えると私が今まで住
んだ土地や旅で訪れた土地に肌が合う土地と肌が合わない土地があることに気
づいた。例えば私は京都生まれの京都育ちであり、大学卒業までずっと京都で
両親と暮らしてきた。だから京都は肌にあって当然だとおもってきたのだが、
実はそうではないことに、京都を離れて始めて気づいた。それまで京都と肌が
合っていたわけではなく他に選択肢がなかったから、やむなくそんなことは考
えずに住んでいたのだ。旅行なんてのもほとんどしなかったからなおさらわか
らなかったのだ。それが社会人になってすぐに東京に住むようになり、他に選
択肢があることがわかり、肌に合う土地というのを求めるようになった。

 東京というのは住むのにはこれ以上便利なところはない。だが、ただそれだ
けである。東京を愛する人には申し訳ないが、昔の東京はいざ知らず、現在の
東京から便利さを取り去れば何も残らないのではないか。少なくとも私はその
ように感じているのである。ここは若いうちに便利さを求めて住むところであ
るが、私自身はここでリタイア後を過ごしたくない。コンピュータ関係の仕事
をするには何かと便利であったが、今は通信網や手段の発達でそのメリットも
薄れてきた。

(続く)