「お替わりはいかが? 〜1332〜」

1999.02.25 (Thu) ==========================

□ 家を買うということ 〜3〜

 実際に適切な補修に必要な積立額はマンションの規模や造りによって大きく
変わるが、毎月二万円程度積み立ててもまだまだ少ないのである。毎月二万円
程度つみたてても定期修繕には最低でも何十万円かの追加徴収が必須となるの
は常識である。結局の所数年に一度まとめて支払うにせよ月々修繕積立金とす
るにせよ、月割りにすると何万かは必要である。それに管理費などを考慮して、
果たしていくら支払い能力があるかを考慮すべきだ。月々十万を越えるローン
の支払いがあるとすると、それに数万が加わって月々十数万になる。さらにこ
れに固定資産税がかかることも忘れてはいけない。

 そうした諸費用とローン支払いを全部あわせたのが、本当の月々の支払い額
なのである。だが、なぜかそれを考慮しない人が意外と多いのは驚きであると
しかいいようがない。私にはとうてい理解できないのだが、共働きでぎりぎり
の生活をして、予想外の修繕費などに真っ青になり、自転車操業一歩手前のと
ころで踏みとどまってまで、猫の額の持ち家が欲しいのだろうか。三十半ばで
そのような住宅を買ったにせよ、その程度の家ではおそらく死ぬまで持たない
だろう。買い換えるとしてもさらに借金を重ねることになりかねない。

 東京から静岡にかけての地域だと、ここで一発地震でもくれば残るのはロー
ンだけである。住むところはなくなってもローンはなくなるわけではない。こ
んなことを考えていると、住み捨ての猫の額程度の家などとてもじゃないが欲
しくはない。

 だが、こういう状況であるにもかかわらず持ち家指向がいっこうに衰えない
はどういうわけか。バブルがはじけて土地神話はやや威光が衰えたとはいえ今
だ健在であり、土地は財産であるという考えは根強い。それを否定するわけで
はないのだが、この狭い国、それも利用可能面積にするとさらにせまい国で、
土地だの何だのとさわぐことは自分たちの首を絞めるだけではないか。

 言い古されたことだが、大都市への人口集中と住宅政策がほとんど無策であ
る限りこの持ち家指向は絶対に無くならない。それどころか今後高齢者が増え
て行くのは明かである以上、その高齢者が安心して住めるのは、現在の政策で
は持ち家しかないのである。ぎりぎりの生活、爪に火をともす生活をして建設
会社や住宅会社の餌食になりながらも、どうにもならず自分で家を買うしかな
いのである。

 しかし、政治を動かし行政を運営する重要な立場の人の多くは、そういう不
安とは無縁だ。彼らにそういう不安が存在しない限り、私たちの不安は消える
ことはない。

(完)