「お替わりはいかが? 〜1366〜」 1999.03.31 (Wed) ========================== □ コミュニケーション能力 〜3〜 とにかく、今私たちに大きく欠落しているのは、自分の頭で物事を考え、自 分を確立し、自分以外のものと考えを交えたり戦わせたり理解する能力ではな いだろうか。自身の反省としてこれらが大きく欠落しているのをみとめるのは やぶさかではない。むしろ時すでに遅いかもしれないが、自ら進んでそれを認 めて、残った人生でできるところまで取り戻したいとすら思っているが、なか なかそんなに簡単ではない。 自分の頭で考え、自分の意見を持ち、異なる意見を持つ人と議論し、ときに は相手を説得して自分の意見を通し、あるいは議論の上で相手の意見をほぼ全 面的に受け容れたり、両者の接点を模索したりする能力は非常に重要だ。これ は、相手が日本人であれ外国人であれその重要さは変わらない。 しかし、実にこまったことに日本ではこんな風に自分をはっきりと打ち出さ なくても、間接的な表現程度でなんとか接点ができあがってしまう。そういう 社会では、むしろはっきりと自分を打ち出すのは、かえってコミュニケーショ ンを阻害することすら多い。言い換えれば角が立つということだ。「角が立 つ」というのは、「理屈っぽい言い方や態度をして、物事がおだやかでなくな る。物事が荒だつ」(国語大辞典(新装版) (C)小学館 1988)だと説明されて いるとおり、理屈は抑えてできるだけ表面的には穏やかに納めようとすること の裏返しである。つまり理論武装して相手の意見を叩くことは「角が立つ」の である。おそらく多くの日本人はこうした議論には全く不慣れであれるから、 ふっかけられた議論に対して、理論的に反論よりも感情が先に立ってしまい、 腹を立てるか逃げ出したくなる。そして立場が相手より上なら「理屈ばかりこ ねるんじゃない」と押さえ込んで自身を守ろうとするのではないか。 今の日本は、文化も習慣も考え方も異なる諸外国との交流無しには存在し得 ない。生活水準や人口が鎖国時代の昔にもどってもよいなら、存続も可能であ ろうが現実にはそんなことは不可能であり、貿易・文化・政治・防衛などほと んど全ての面において交流無しには今の日本を維持することは不可能だ。だか らこそ今後日本を背負う世代は、こうした基礎的なコミュニケーション能力と、 異なる文化への理解、そして何より国際語である英会話能力が必須なのである。 そんなのは海外と交流のある一部の人間だけにあれば良いというのは大きな誤 りである。 とにかく必要なのは今の教育内容と教育システムの全面大改造だ。 (完)