「お替わりはいかが? 〜1371〜」 1999.04.05 (Mon) ========================== □ 無党派層 近頃選挙の度に「無党派層」という言葉がマスメディアに踊る。実際の所、 私自身はどうかと尋ねられれば、今現在の私は「無党派層」である。以前はあ る政党を支持していたが、分裂したり、あるいは支持していなかった政党とく っついてみたり、方針がいつの間にやら変わっていたり、見えなくなったり、 風見鶏と化していたりして、特定政党を支持するのが馬鹿馬鹿しくなったので ある。国政では最大規模で与党の自民党でさえ、派閥抗争と権力争いに明け暮 れて、どこを叩いても国民不在、有権者不在の永田町の論理しか出てこない。 私はこんなふうになってしまった各党を心底支持するほど落ちぶれてはいない。 国民へ満足な政策も示せず、国際社会へむけてのリーダーシップもとれないよ うな政党政策には、ほとほと愛想がつきた。だから、結果として特定政党を支 持したくても支持すべき政党がないのだ。 それはそれとして、近頃気になることが一つある。それは無党派層と無関心 層がいっしょくたにされているような気がしてならないということなのだが、 多くの場合それは全く別物である。逆に支持政党があるからといって政治に関 心があると思うのは大きな誤りであろう。とくに地方都市や農村部では党の掲 げる政策とは関係なく、地元候補・血縁候補等に表を投ずる比率がたかくなる のではないだろうか。政治への無関心は有権者が犯しうる最大のの罪悪である が、こうした政策軽視の投票もかなりの罪悪ではないか。候補者は地元票集め に地元に美味しい話しかしないだろうが、町や村といった極小規模の自治体な らともかく、都道府県や国政といった大きなレベルでは、地元の利益と都道府 県や国レベルでのメリットとは必ずしも一致しない。それでも地元が良ければ それでよい、というのは典型的な自己中心主義だろう。 話がそれたが、とにかく無党派層と無関心層とは重なる部分はあるとは思う が一致はしないだろう。昔に比べて無党派層が増加しているとしたら、それは 疑いもなく政党・政治家自身の責任である。単に美味しいだけではなく、理論 だった確固たるビジョンと主張をもち、痛みを伴う改革も、プラス方向の政策 もきちんと打ち出せ、有権者を説得できるような政党・政治家は皆無なのが現 状だ。現状は風見鶏主義か自己・関係者利益至上主義、理屈ではなくとにかく 反対主義が横行している。 さらに悪いことに、政党・政治家達は自分たちの公約・施政方針の結果のレ ビューが皆無だ。そんなことをしたら自分たちの首を絞めるのは火を見るより 明らかだし、過去を振り返えるよりこの先の議席や権力維持を心配した方が得 策だとの判断なのだろう。あるいはそもそも過去を振り返ってその過ちを繰り 返さぬようにするという前向きの考えが欠落しているに違いない。ただ一つの 例外は選挙の失敗だけは繰り返さないようにしっかり分析している点だ。 これでは、積極的に支持できるような政党を失った無党派層が増えてもしか たないのではないか。政党内の空気と有権者達の住む世界の空気があまりにも 異なりすぎる。