「お替わりはいかが? 〜1385〜」

1999.04.19 (Mon) ==========================

□ グアムの歴史 〜1〜

 夏の旅行は、一月のビッグアイランドと同じ顔ぶれで、グアム島に行くこと
になった。グアムといえば、日本で最も身近なアメリカでありホテルによって
は日本人宿泊率は99%にも上るという。こうした大勢の観光客のどの程度がグ
アムの歴史を知っているのか、あるいは渡航前に調べたことがあるのか甚だ疑
問であるが、せめて自分はその仲間入りを避けるために、少々百科事典や地図
資料をひもといてみた。参考にしたのは、日立デジタル平凡社「マイペディア
99」、マイクロソフト「Encarta World Atlas」、他何冊かのガイドブックの
類である。

 サイパン島と同様に、グアム島もスペイン、日本、米国の三国に翻弄された
歴史をもっている。そもそもグアム島の原住民はチャモロ人であり、彼らはマ
リアナ諸島の先住民である。チャモロ人は現在のグアムやサイパンの人種構成
でも過半数を占めているが、純粋なチャモロ人というのはほとんど居なくなっ
たようで、マリアナ諸島の歴史を反映して、スペイン人やフィリピン人との混
血が多い。

 マリアナ諸島の歴史に他国の名前が載るのは1521年にマゼランが来航してか
らのことである。彼はポルトガルの航海者であるが、スペイン王カルロス一世
の援助を得て、1519年9月に5隻の船を引き連れて狡獪に出た。そして南米マゼ
ラン海峡から南太平洋を経て、1521年3月にフィリピンに到達し原住民との戦
いで命を落としたという。しかし彼の遺志を部下が引継いでようやく1隻が翌
年9月に戻り、約2年の歳月を掛けて世界一周を成し遂げた。グアムは1521年3
月6日にマゼランが寄港し、その後1565年にスペインが領有宣言をし、スペイ
ン統治時代が始まった。

 1898年、当時スペインの植民地であったキューバの独立運動をきっかけに米
西戦争が勃発した。結果は米国が勝利を納め、キューバは米国保護領ではある
が一応独立を獲得し、米国は当時スペイン領であったフィリピン、グアム等を
獲得した。すなわち1565年から1898年までの333年という三世紀以上の長きに
渡りスペインが支配していた。だから現在のチャモロ人にはスペイン人との混
血が多く、チャモロ語にはスペイン語が多く混ざっているのだそうだ。実際、
チャモロ語の「さよなら」はスペイン語のさよならにあたる「adios」そのま
まなのだ。

(続く)