「お替わりはいかが? 〜1412〜」 1999.05.16 (Sun) ========================== □ 幼児虐待 最近「幼児虐待」という悲惨な四文字が新聞紙面で目立つような気がする。 1歳11カ月の女児に対して約一月間にわたりろくな食事も与えず自宅で衰弱 死させた母親が逮捕されたとか、5歳の女児を虐待して死に至らしめた継父と かは記憶に新しい。 昨日のテレビでは、後者の事件で手当てを担当した救急医が、女児の様子を 図を交えて話していた。頭部には灰皿のような堅いもので殴られた挫傷、片方 の目は腫れ上がりほとんど目が開けられない状態、股間の部分は蹴り上げられ ような痣{あざ}、手指と足指は扉で挟まれたような跡、わき腹の部分にはタ バコでつけたような火傷の跡が多数あったというから驚く。その救急医はそう いうひどい状況の子供は初めて見たという。さらに悲劇であることを物語るの は医師の次の一言だ。ずっと意識が回復しなかったのだが、息を引き取る直前 に手がわずかに動き、目がわずかに開いた。そしてその目からは小さな涙がこ ぼれた....。これはもう絶句するしかなかった。 継母、継父による血縁関係の無い継子への虐待というのは、童話にもなって いるくらい古くからあり、今に始まったことではない。これは人間だけではな く、動物にでも自分の子供でない子供には襲いかかるとか、世話をしないとい うのは珍しくないようだ。珍しくは無いが、人間には心があり良心があるはず で、子供に食事を与えないとか、限度を超えた暴行を働くなどは、良心のブレ ーキがかかるはずだ。それが人間の人間たる所以だと思う。 5歳の女児の場合、その子は母親の連れ子だったそうで、その後夫との間に 子供が生まれてから女児への暴行が始まったらしい。いくら密室性の高いマン ションとはいえ、虐待された子供の泣き叫ぶ声は聞こえなかったのだろうか。 現在の日本の法律では、両親の虐待から子供を守る力が微弱で、警察も民事不 介入ということで、両親がなんでもない・躾であると言いとおせば、そう簡単 には介入できないという。やたら官憲が家庭に介入すべきではないが、しかし ものには限度というものがある。 子供は社会にとっても、将来の宝であり社会を未来へつなぐ命である。子供 のは両親の所有物ではない。社会全体で保護し正しく導き育てる物だ。今の子 供たちや若者たちをろくに躾もできず、教育もできず、まして導くことなど不 可能な今の日本の社会では、こうした虐待から幼児をまもることなど不可能に 等しい。結局、日本の社会全体が幼稚で成熟した社会からほど遠いのかもしれ ない。