「お替わりはいかが? 〜1436〜」

1999.06.09 (Wed) ==========================

□ 大学入試英語にはTOEFLを! 〜3〜

 ところが今の学校英語は高校入試や大学入試の入学希望者を選抜するためだ
けの道具になってしまっているのが実情だ。これは英語に限らない話だが、上
級学校への入学者を決められた人数以内に絞り込まねばならないという現在の
方式が諸悪の根源である。入学試験は、その学校・学科で学ぶために必要な知
識や学力を身につけているかどうかを判断するものだ。だから、その水準に満
たない者は不合格となるのは当たり前だとしても、条件を満たす人間が多すぎ
ると、人数制限を守るためにおのずからさらに高度な、言い方を変えれば必要
以上に高度な「受験学力」を持ったものに絞り込まざるを得ない。受験者の側
から見ればさらに高度な受験学力が必要となり、受験者の水準が高くなります
ます入試レベルはあがってゆく。現実にはこれらは青天井ではなく自然に頭打
ちになるが、必要な学力を備えているか否かの判定を超えた、高度な受験技術
競争となってしまっている。

 日本の大学は入るのは難しいが、卒業は入学ほどには難しくない。入学が難
しくなるのは定員に縛られた上記のような事情があるからだと考えているが、
卒業がたやすいのは在学中の、とりわけ学部生に対する進級基準や判定テスト
が甘すぎるからだ。そうでないところもあるとは思うが、簡単なレポートだけ
でパスしたり、学校近くで売られている授業の内容のノートのコピーを覚える
だけでパスしたりすることが多いのは異常といえる。入学は必要学力を満たし
ていればとりあえず全部入れれば良い。そしてシビアな進級テストや進級評価
を行えばよい。あるいは学年中に何度かそういう審査をしてもよい。

 ただ、こういう風にすることの欠点もある。それは教える側が学生の授業の
ために多くの時間を割かざるを得なくなり、大学のもう一つの顔である研究に
かける時間が少なくなってしまうかもしれないことだ。大学は研究の場か、教
育の場かという本質的な問題とも関係してくるが、これには一律の解決方法は
なさそうだ。大学側が自大学のカラーをどのように考えるかというところにか
かわってくる。

 そういう意味ではTOEFLは、今の入試の英語試験のような入学希望者選
抜道具にはならないかもしれない。一定要件を満たすかどうかという尺度にす
ぎないけれど、実用性と意義という点では難解なだけの現在の大学入試英語試
験より何百倍も良い。別にTOEFLにこだわらなくてもよいが、現在実用英
語能力を世界共通に計ることができる最もメジャーな客観的判断基準がTOE
FLだというだけで、それにかわるものが今後出てくればそちらに移行すれば
良い。

 とにかく大学入学試験の英語にTOEFLを使うのは、その合否が重要なの
ではなく勉強する課程とその結果身についた内容に非常に大きな意味がある。

(完)