「お替わりはいかが? 〜1444〜」

1999.06.17 (Thu) ==========================

□ 貴方の人生だ

 「貴方が貴方自身の人生において、やりたいことはなんですか? 貴方の人
生で貴方はどうしたいのですか?」このように尋ねられて、即座に明快に答え
られる人がいったい何人いるだろう。小学生の子供ならともかく、いい年をし
た社会人の大人が答えにつまるというのは考えてみれば情けない話だ。もちろ
んしっかりした目標や生き方を持っている人は大勢いるが、自分のまわりを見
渡せば自分も含めてそのあたりがいつまでたってもぼんやりあいまいな人が多
いようだ。

 聞くところでは、しっかりと自分の人生を考えて方向性をもっているのは、
欧米人とりわけ米国人に多いらしい。どこまで本当か、どれくらいの米国人に
これが当てはまるか分からないが、確かに私の少ない経験でもそういう気がす
る。なんというのだろうか、彼らは非常にしっかりした考えを持っている、あ
るいは少なくとも持っているように見える。

 一つ私が感じるのは、日本人であるか米国人であるかを問わず、自分の人生
の方向性や生き方・強い目標を持っている人たちからは輝きが感じられること
だ。それに引き換え、生まれてしまったから何となく生きているような人、特
に最近の若者たちに多いのだが、輝きが感じられない。輝きとは目の輝きに典
型的に現れるが、それ以外にも何と言うかオーラのように人から放たれる見え
ない光を感じる量がまるで違い、なんとなく生きている人からは勢いが感じら
れない。人生を走る勢いというのだろうか、ふんばりというのだろうか、そう
いうものが感じにくい。

 同じ人生ならば、自分の考えをもちそれに沿って生き、自分の目標というか
ターゲットに向って行くほうが、死ぬまでの時間を何となく過ごすより何百倍
も楽しいではないか。苦労がないのは何となく生きるクラゲのような生き方か
もしれないが、あまりにも寂しいではないか。

 若い人たちは、夢や目標を持てないことを時代のせいにしがちだがとんでも
ない間違いである。自分の人生を他人に責任転嫁にするな。自分の目標を持て
ないことを他人の責任にするな。事情はどうあれ自分の人生は自分で責任を持
ち、自分で目標を持ってそれに向って突き進め。他人の責任にしてよいのは、
自分一人では生きられない赤ん坊のうちだけだ。