「お替わりはいかが? 〜1500〜」 1999.08.12 (Thu) ========================== □ 他人への配慮 「嫌煙権」という言葉に対して「喫煙権」とも呼ぶべきものを主張する人が いる。喫煙という行為そのものはあるいは嗜好の類に属するのかもしれない。 そういう意味ではガムを噛んだりキャンディをなめたりするのと同じようなも のだ。ただし、それが単なる嗜好の行為であると容認できるのは、他人に不快 な思いをさせない努力、公共の場を汚さない努力がある場合に限られる。 思うにチューインガムで他人に不快な思いをさせるのは、その噛み終わった ガムのカスをそこいらにペッと吐き出したり、クチャクチャと不快な噛み音を たてたりする時だ。同じように喫煙が不快なのは、まずその吸殻や灰をところ かまわず捨てることである。そしてそのなんとも旗迷惑な副流煙と臭いであろ う。私に言わせればチューインガムの不快感も煙草の不快感も同罪だが、現実 にその不快感を感じる機会の多さでは圧倒的に喫煙に不快感を覚える。 ランチやディナーで店に入りカウンターにすわる。喫煙者の一部は座った段 階でポケットから煙草の箱を取り出し店員に食事の注文をする。この後喫煙者 の多くはカウンターの上に出した、あるいはシャツのポケットから煙草を出し ておもむろに吸い始める。このとき隣に座った人が食事の最中であろうがなか ろうが気にする人はまず居ないし、まして、となりの見知らぬ他人に喫煙を事 前にことわるような人には未だかつてお目にかかったことがない。中には食事 中のとなりのほうに煙を吐き出す馬鹿さえいる始末だ。こういう風に他人への 迷惑を考えない連中が日本人のマナーの平均値を引き下げている恥さらしなの だ。 池袋や新宿、渋谷でホームから線路脇を覗きこんでみよう、何が見えるだろ うか。空き缶などもあるが、圧倒的に多いのは煙草の吸殻である。枕木と枕木 の間の数十センチの間に結構な数の吸殻が落ちている。現在は指定場所以外で は終日禁煙のはずなのだが、いつ何時でもホームやら線路脇に吸殻が落ちてい るのは一体どういうわけだ。 ランチであれディナーであれ、喫煙している本人はその一服でリラックスし てほっとしているかもしれないが、その人の周囲の非喫煙者は甚だ迷惑であり、 せっかくのランチやディナーが大無し同様だ。同じ代金を支払って片方はリラ ックスし、片方は不快な思いをするのは不公平である。喫煙マナーや公共の場 やレストランでの禁煙では日本というところは極めて不愉快きわまりない。