「お替わりはいかが? 〜1525〜」 1999.09.06 (Mon) ========================== □ 四季 昼間はまだまだ暑いことが多いが、それでも抜けるような青空つまり秋の空 であることが多くなってきたし、何より朝夕はずいぶん過ごしやすくなってき た。あと何ヶ月かすればヒートアイランドと化し、悲しいかなもはや人の住む べき街ではなくなりつつある東京といえども、さすがにコートを着ないといけ ないような気候になるだろう。 このように比較的明確な四季のある日本に住むわれわれ日本人の場合は、出 来事の記憶を季節で覚えていることが多い。たとえば娘をはじめて海外に連れ ていったのは三年前の夏だったとか、このダウンピローを買ったのは三年前の 梅雨時だったとか、あるいは年はすぐにはわからなくても、あの人の葬儀は夏 のカンカン照りの暑い最中だったね、とか彼女の結婚式の日は大雪で大変だっ たなぁとか言った具合だ。 聞くところでは、これが四季の変化がなく、明確な雨季や乾季も少ない年中 常夏の国だと、この手の出来事の記憶が薄くなることが多いという。もちろん 出来事そのものは忘れなくとも、それがいつ頃のことだったのかわからないと いうわけだ。その出来事の前後に感謝際とか独立記念日とかクリスマスなどの 国民的な行事があればそれに引っ掛けて記憶することもあるけれど、まあ日本 の四季ほどの明確さはないようだ。 季節がはっきりしていることのもう一つの特徴としては、そこに住んでいる と木の年輪のごとく、一年の区切りというか年がたつのをはっきりと感じるこ とだ。実際私なども、ついこの間冬にハワイ島に行ったばかりのような気がす るのにもう夏が終わりつつあり秋の空が訪れているという感じだ。どうりで歳 をとるのが早いわけである。人生も半分くらいにさしかかると、まさに上った 山を下るごとく歳をとるのが早くなる。それを季節がめぐるたびに実感として 感じるのである。誕生日はこの歳になると祝うわけでもないし、ろうそくをた てたケーキを買うわけでもないのであまり実感がわかないが、季節の移ろいは まさに体感できるから、自動的に加齢したのを感じるのだ。 歳をとることをはっきりと感じるのは嫌なものだが、しかし四季の移り変わ りというのは素晴らしいものだ。おかげで野菜・果物・魚などは季節毎に違っ た美味を味わうことができ、旬の食材は食卓を華やかにしてくれるのも四季の 明確な国ならではだ。やはりここは自分の年輪で嘆くよりその自然の恵みを楽 しんだほうが得策のようだ。