「お替わりはいかが? 〜1559〜」 1999.10.10 (Sun) ========================== □ カリキュラム改定 電車のドア付近の広告の定番に「日能研」というのがある。いわゆる進学塾 の一種だが「四角いアタマを丸くする」というキャッチフレーズのこの広告は 結構有名だと思う。広告中の問題はみな中学入試の問題だが、大人でも、いや 大人だからこそ頭をひねってしまい、すぐに答えが出てこないものも多くある。 今出ているのは「さようなら、(上底+下底)×高さ÷2」というので、20 02から実施されるカリキュラム改定で小学校の算数の教科書から台形の面積を 求める公式が消えるというものだ。広告中には、公式そのものに意味は無いか もしれないが、それを導くまでの考え方を身につけるのは重要であり、それが 失われることを懸念している、という趣旨が小さな文字で記されている。 これは実に正論である。この正論を現場の算数や数学教師が言うのなら非常 に説得力がある。しかし、残念ながら、難解な問題を短い時間に多く解くこと を教える進学塾の広告中だから説得力は皆無どころか、逆にカリキュラムが簡 単になり、難解な入学試験が減少するようなことにでもなれば、これは進学塾 の生存の危機になるので、商売の邪魔をする不埒なカリキュラム軽減には断固 反対する、と書いているように思えてならない。 この広告の本音を知ることはできないが、しかし、この正論は実はカリキュ ラムをよりシンプルにしてこそ実現できるものだ。現状の小学校の算数では、 ボリュームが多すぎて考える時間が取れないのである。教室で生徒自身を考え るほうに導き、彼ら自身に考えさせようとすると、時間がまるで足りないので ある。一つの単元でそれをやると、そのしわ寄せが後のほうの単元にきてしま い、学期末や学年末近くになると、超特急で飛ばしたり、あるいはスキップす ることさえある。 広告が懸念している「公式はともかくも、それを導き出す過程」を実は現状 ではなかなかじっくりと出来ないのである。日本の教育は詰め込み教育だと批 判されることが多いらしいが、自分の経験と今小学校の娘を見ていて、その批 判が必ずしも当たっていないにせよ、確かに詰め込みのきらいはある。詰め込 みというよりは、自分で考え、自分の考えを他人の考えと比較し戦わせ議論す るということがまずやられていない。どうも議論して物事を決めるのは、あま りよろしくなくて、なあなあで妥協してなんとなく当たり触りなく自然に決ま るのを美徳とするような妙なところがある。もちろんこういうやり方が良い場 合もあるとは思うが、正面切って議論をして意見を戦わせ、その中で相手の考 えを知り、自分の考えを他人に伝える方法を訓練で学ぶのは重要だ。議論とい っても大切なのは、相手をコテンパンにやっつけ、相手の上げ足取りばかりを ねらうようなアメリカ人式の議論ではない。もっと前向きな建設的な議論の方 法を学ぶべきだ。数学の問題を多く解くより、こういうところに教育の場で時 間をかけるべきだろう。 もっとも、現状では教師からして詰め込み教育・量産型押し教育の産物だか ら、教える側にそうした技術や知識が皆無だから、まずそこからはじめなくて はならない。どうも卵が先か鶏が先かのような話しになりそうだ。