「お替わりはいかが? 〜1616〜」 1999.12.06 (Mon) ========================== □ 顔黒族と原宿族 ヒートアイランドとなって廃墟への道を猛進している我が東京も、さすがに この時期になると朝晩はめっきり冷え込むようになってきた。街へ出ると十代 の女の子達は判で押したように似たような格好をしているグループを見かける。 それは、厚底ブーツ、ミニスカート、茶色く染めた長めの髪の毛、真っ黒に焼 いた顔だ。グループの中で一人がこういう格好をしていると、他の子も同じよ うな格好をしているから驚く。まさに個性は罪であると言わんばかりに右に習 えだ。あるは個々に個性を持たないというのが個性なのかもしれない。もちろ ん十代の女の子がみな茶髪、厚底ブーツ、ミニスカート、顔黒というわけがな いが、平日夜や休日の繁華街でみかける彼女達は圧倒的にそういう外観なので ある。 女の子達の服装といえば、休日の原宿近辺は愉快である。実にとりどりで普 段の通勤・通学服や普段着からみれば奇妙としかいえないような服装をしてい る。私などは電車に乗るのが恥ずかしくないのだろうかと妙な心配をしてしま うくらいだ 彼女達の特徴はさきの顔黒族とは全く逆で、似たような格好をし似たような メークをしている者はまず存在しない。顔黒族が持ち物などもブランドで固め たがるのに対して、原宿族はブランドもので固めるようなことはない。原宿族 はみな個人個人が自分の衣装・メイクについてその時々の主張をもち、それを 表現するように衣装を工夫して作ったり、メイクをしたりしている。いかに自 分の独自性を打ち出すかというのがポイントのようだ。だから、友達がああだ から私も同じようにするということはありえないのである。 どちらも私のようなおじさん世代からみると奇妙奇天烈に写るのだが、私の 価値観でどちらが好ましいかというと絶対に後者である。原宿族の彼女達は猫 も杓子もブランドバッグなどに走った服装はしていない。自分のファッション に自分なりにテーマを持っており、それをお金をできるだけかけないで表現し ようと、裁縫したり工夫したりしており、そのアイデアはちょっと見には変だ けれど、しかし敬服するものが少なくない。 自分なりに自分を主張しその表現方法を工夫するというのは、非常に大切な ことだ。他人の真似事をして大勢の一人になってしまえば、目立たないし考え なくて良いから楽にはなるだろうが、それでは自分自身の存在価値が見出せな い。これからの時代、仕事においても同じ事で大勢の中の一人で他人と同じで あれば、その人がその仕事をする価値はないのである。単なるネジの一つにす ぎず壊れたら捨てればよい、いくらでも代えはあるのだ。これではあまりにも つまらないではないか。