「あいちゃんの散歩道」

第1回 私の新ミレニアムの始まり


 2000年1月1日0時0分0秒、この記念すべき瞬間に私は何をしていたかというと、情けないことに自宅の居間で居眠りをしていた。最後に記憶にある1999年は紅白歌合戦の美川さんのものすごい演出のシーンであり、2000年最初の記憶は0時50分くらいである。せめてカウントダウンでもしてやろうかと思っていたのになんとも残念である。

 例年なら年末から年始は年末の買い物やらで疲労はあっても体調絶好調で迎えるのだが、今回は絶不調でむかえた。クリスマス頃に風邪をひいてしまい37.7度の熱を出したが、これは一日で下がった。それから体調が回復したと思った28日頃から咳が出始めた。この咳が結構激しくて、喉の入口あたりを細い糸がひろひろとひっかかるようなムズムズ感がものすごく強くて違和感もあり、夜床に入るとそれがひどくなり気持ちが悪くなるくらいだ。

 さすがに元旦未明にはたまりかねて、年の明けた1日の午後に自治体が運営する「休日急患診療所」に飛び込んだ。ここで前述のような経緯と症状を聞き診察をした医師が言うには、風邪の後に残っている一時的な喘息様の症状であろうとのことであった。そして抗生剤(どうも日本の医師は抗生剤を使いたがるが、こちらは素人だし気管支炎・肺炎などになってもこまるので素直に従わざるを得ない)、抗炎症剤、気管支拡張剤を近所の医者が診察をはじめる6日までの5日分処方してもらった。

 さすが医師の処方する薬は市販薬とは効き目が違う。ひどかった咳はいきなりゼロになることはないが、夜などはかなり楽になったし昼間の咳も大分減少した。このまま良くなってくれれば良かったのだが、実際のところはそうは問屋が卸さなかった。

 年末の31日、私はY2K対応出勤当番だったのだが、実はその日の朝出勤してから2時間半ほどは暖房が入らず非常に寒くてオフィスで震えていた。まだろくになおってもいない風邪にこのオフィスの冷え込みと、Y2K対応当番が終わって緊張感が抜けたのもあってか、1日の午後から熱が出始め夜には38.5度になってしまった。熱のほうは2日には37度台前半になり3日にはほぼ平熱か微熱程度にまでなったが、今回は一度目と違って熱の割には自覚症状が厳しくて感覚的には+1度した感じだった。4日の今日は熱は今のところ平熱だが、体感的にはまだ絶好調の時の7割くらいだろうか。そのときの体調は目覚めた瞬間でかなりわかるが、1日・2日は最悪、3日からはかなり快調だがまだ本調子ではない。

 それでも目覚めた瞬間の感じの通り3日にはかなり復調していて、さぼっていた年賀状チェックなどをして、漏れていたところに追加印刷をしたりした。妻に言わせると1日あたりは顔色もわるく無口だったが、今は顔色もかなり良くなったということだ。

 うがい・手洗い・洗顔を頻繁に行うようになってから、寝込むような風邪をひくのは数年に一度くらいになったのだが、それでも生きている以上ゼロにはならぬのが道理というものだ。その上加齢もあって若い頃ではあまりこたえない程度の熱でも脱力感やだるさは発熱以上のものがあるようになった。だからこそなおさら、うがい・手洗い・洗顔には気を付けていたがひさびさに寝込む風邪をやってしまった。

 まだまだ、世間では咳をする人が非常に多く、この冬は特に二回・三回と続けて風邪をひく人も少なくないと聞く。私のほうも体調はマシにはなっているがまだまだ絶好調とは言いがたいので、当面は用心して体に負担をかけないようにしないといけない。まったくとんだ新ミレニアムの始まりである。


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