白河紀行 (No.383〜385 1996/07/21-07/23掲載)


第一日目

 台風六号崩れの熱帯低気圧が関東地方を覆っており、練馬では前夜から雨が降り続き、昨夜は浴室のシャワーを最大にしたような雨だった。一夜明けても天気は回復せず、雨足は強弱のリズムを持ち、ときにはピアニッシモ、ときにはメゾフォルテで地面を濡らす。

 気象衛星「ひまわり」の写真では、関東南部に熱帯低気圧が居座って、厚い雲が関東平野にかぶさっている様子が見て取れる。ニフティサーブの全国天気予報サービス(GO WURBAN)によれば、東京は一日雨……降水確率は七十パーセントだが、既に降っているのだから私にとっては百パーセントだ……、目的地の福島は曇りで降水確率十パーセント、明日は曇り後時々晴れ、明後日は曇だ。どうやら自宅から駅まで我慢すればあとは雨にあう心配はなさそうだ。晴れなくても現地で雨さえ降らなければいい。

 我が家から東北もしくは上越新幹線に乗る場合、池袋から上野にでるよりも池袋から埼京線に乗って大宮から乗る方が早くて安い。それに在来線との乗り換えは上野はえらく不便だが、大宮はすぐそばである。指定席なら上野から乗るメリットは全く無い。

 そういうわけで大宮についたが、家を早くですぎたため、乗るべき新幹線の発車時刻まで五十分近くある。時刻は丁度昼時、腹の虫が騒いでいるので駅改札内のファミリーレストランで食事をとる。旅の出発はやはり車中で駅弁といきたいところだが、大宮から新白河までは所要時間四十九分程度、子供連れでゆっくり弁当を食べるには少々時間が辛いからやむを得ない。

 大宮をでて十数分、小山を過ぎると練馬のメゾフォルテの雨が嘘のようで、西の空には晴れ間もでている。このあたりも今や住宅地、都心への通勤圏であり、工場・住宅地・田畑はたまた自治医科大学のちょっとかわった客船の上部のようなビルが車窓を流れて行く。

 景色を眺めながらうつらうつらしていると、列車はあっというまに新白河に到着した。時刻は午後一時半過ぎで、同行の義父母は車で来てここで合流する予定だが、その時刻まで一時間近くある。どこかへ行くには時間が短いし、ぼーっとしているには長すぎる。駅の東口に出ると洋館風のちょっとしゃれた喫茶店がある。「高山」という名の店にはいると予想に反して、中は広く中央に暖炉があり、落ち着いた雰囲気だ。都会の喫茶店では味わえない雰囲気で、落ち着いた空気と木造りの暖かさがある。時間がゆっくりながれている空間がありほっとする感じの店だ。

 ここから車で約二十分で宿につく。オープン三日目の会社の保養所である。五名なので二間の和室がとってあった。いぐさの匂いと木の匂いが鼻をくすぐるのが気持ち良い。食事まではかなり間があるので、こういう時はまず風呂である。時間が早いので娘と二人の貸し切り状態である。こういうきれいな大浴場や露天風呂に体を沈めるとき、つくづく日本に住めて良かったと思う。

 さて、待望の夕食は和風懐石である。一流料亭とまではゆかなくても、かなり良い線をいっている。面白いのは宿の手打ち蕎麦が一品としてついてくる。つゆもなかなか旨く、もりそばとして食べてみたいものである。刺身は平目、鯛、牛からその場で選べるが、時節柄牛を選んでいる人はほとんどいなかったようで、私たちも平目と鯛を選んだ。

 私の父は国家公務員であり、当時共済組合の施設はおせじにも綺麗とはいえないもので、海の家などもがっかりしたものだ。生涯賃金では公務員には勝てないが、こういった素晴らしい施設を使えるのは、大企業の歯車の数少ないメリットの一つだ。

 ともあれこの宿には満足だ。明日の予定は猪苗代湖から五色沼のほうにいってみよう。

 会社の保養所は標高約八百七十メートルのところにあり、曇っていることもあって気温が低めである。この時期になると練馬の自宅だと夜はエアコンなしでは寝苦しくてかなわないが、ここは夜涼しく、普通の羽毛掛布団をかけて丁度良いくらいだ。

 前にもこの駄文でふれたことがあるが、私は寝具にこだわりがあるほうだから、寝具がかわると、特に枕がかわると眠れない方だ。もともと寝つきはいいので、とりあえず旅先でもすぐに眠ってしまうが、夜中に何度も目が覚めるし朝も早くに目が開いてしまう。


第二日目

 そういう訳で、二日目の朝も結構早く目覚めた。外をみると一面霧で真っ白である。新白河からかなり山の方、甲子高原のほうに近い山だからだろうか。朝食は朝がゆに和食のおかずをつけた純日本風だ。だが飲物の中にコーヒーがあるのはなんとも不釣り合いである。

 朝食を済ませると宿を出て、東北自動車道路の白河インターチェンジへ向かう。夏休みとはいえ、時刻は十時過ぎで平日だから道路はがらがらだ。そして北へ向かうこと五十キロ余りで郡山ジャンクションに着く。ここは東北自動車道と磐越自動車道の接点であり、ここで磐越自動車道に入り、猪苗代磐梯高原インターチェンジへ向かう。途中磐梯熱海インターチェンジを過ぎると、それまでの片側二車線が片側一車線のそれも対面通行になる。トンネルも途中五箇所あり起伏が多く、いかにも事故が多発しそうな場所である。(地図を見ると磐梯熱海インターチェンジから会津坂下インターチェンジまでは、暫定的に片側一車線だそうだ)

 猪苗代磐梯高原インターチェンジで一般道にでて、四キロくらいで猪苗代湖畔にある野口英世記念館に着く。野口英世博士を知らぬ人はないとおもうが、一歳六ヶ月の時囲炉裏におちて、左手に大火傷を負った話は有名であろう。また最後はアフリカで黄熱病の研究中に自ら黄熱病に侵されて五十一歳で人生を終え、世界中の人に惜しまれた人である。野口英世記念館は、修復保存されている野口英世博士の生家を中心に、博士の幼少時代から晩年のころまでの資料展示がされている。天才的な頭脳の持ち主だったことは疑いがないが、同時にその才能に目を付けて援助をしてくれる人に恵まれた幸運な人でもあった。

 さて、野口英世記念館をでて、くるまは磐梯ゴールドラインへむかう。ここは紅葉のシーズンにくればとても美しいところのようだが、さすがに今は夏で、夏の光をすって山は緑色に輝いている。途中の展望台で車を止めると、猪苗代町の街から猪苗代湖のほうが一望できる。さらに車を進めて裏磐梯に入るといきなり観光地が出現する。そこには桧原湖をモーターボートで貸し切り一周してくれるというのがあるが、値段はなんと一万五千円もする。だれがそんなものに乗るというのだ。

 時計は三時、夕食は六時半でその前に温泉に入りたいから、ぼちぼち引き上げねばならない。母成りグリーンラインを通り磐梯熱海インターチェンジから乗ろうかと思ったが、時間がかかりそうなので、途中から国道百十五号に入り、最初に降りた、猪苗代磐梯高原インターチェンジから磐越自動車道に乗り宿に戻る。

 猪苗代湖では晴れていたのに、やどの付近に戻ると泣き出しそうな天気になっていた。午後五時宿に帰着、おつかれさまでした。


第三日目

 さて、昨夜から雲行きが怪しげであったが、案の定朝起きると雨がふっていた。今朝もおかゆであるが、今度は竹の子と玉子のおかゆである。ごはんをおかゆにしたのではなく、米から炊いたおかゆなのでなかなか美味しい。少しもの足りない位だが、昨夜の料理が豪華だからこれで丁度良い。

 朝食を済ませ会計をすませる。税別で一人一泊二食七千円、同じレベルの料理と部屋で一般の宿を取ると、軽くこの四〜五倍はするだろう。ただ交通の便が悪いのが難点だ。今や車を持たない家が希少価値なのかもしれないが、車がないと会社の施設も使えないというのは、ちょっと気に食わない。

 宿を出て、那須甲子有料道路に入るとすぐに霧が出ていた。走れないほど濃くはないが、慣れぬ道でカーブと起伏が多く、もともと慎重な運転の義父も、いっそう慎重になる。那須甲子有料道路から那須湯本温泉を抜けて、黒磯方面に向かう。十七号線を黒磯に向かうと途中に那須サファリパークがある。子供はこういうのが好きなので入ってみる。自分の車でもまわれるが、猛獣がぶつかってぼこぼこになっても責任は負わぬとおどかされ、代車も使えるそうだが慣れない代車で動物たちに怪我をさせても困る。ここは大人しくサファリパークのバスに乗るに限る。

 入場券の裏の注意書きに「猛獣が近づいてきたら走って下さい。止まっているとライオンが自動車の上に乗ります」とある。さすがにライオンにマイカーの屋根の上に乗られて、屋根をぼこぼこにされてはかなわない。

 昔つとめていた会社の保養所が那須にあり、社員旅行で行ったときにここへきたことがあるから私は二度目だ。入場料はバス利用だと大人二千五百円、子供千二百円と安くない。バスはゆっくりと園内を回る。ここには珍しいホワイトライオンが居るそうだが、檻の中に居たようで私は見落としてしまった。他にもホワイトカンガルーが居たがこれまた遠くからしか見ることができなかった。

 途中台の上に乗っていたライオンが窓に顔をくっつけてきたが、動物園でみるのとは違って、その顔のでかさに驚いた。鼻の頭だけで娘の握り拳くらいの大きさがある。こんなのに食いつかれたらひとたまりもない。同じくキリンの頭も十センチの距離で見ると、頭頂部は結構でこぼこなのである。これは新発見だ。キリンの舌が緑色だというのも初めて知った。

 那須サファリパークを出て、さらに十七号を黒磯に向かい途中で昼食を取る。歩いているとふらりとのぞき込むことができるが、車だと小回りがきかない。あの店はちょっと良さそうだと思ったらもう通り過ぎてしまっている。そんなわけで、とおくから見ても良くわかる茶色地に白い文字で、「めし、うどん、そば」と書かれた旧家をそのまま店にしたようなところに入った。土間から入るのだが、そこでは店員が山芋の皮剥きをしている。それも包丁を使わずに皮剥き機などをつかっているのは気に入らない。

 その心配は案の定で、一番安いのがいくら丼で千八百円、鳥なんばんのようなうどんと麦トロのセットがなんと二千九百円と目を剥くような価格だ。一人だったらテーブルを蹴って出て行くところである。こういうぼったくりバーのような店に限って旨いはずがないのだが、予想通りまずかった。店内も悪趣味な骨董が所狭しと並べられており、ますます腹が立つ。そのうえメニューは十品程度しかなく子供向けのメニューも皆無だ。どうろに安っぽい「めし、うどん、そば」などというでかいのぼりをはためかせ古ぼけた構えで客を油断させる所などは卑怯このうえない。そのうえ入って座らないと値段がわからない。これなら駅の立ち蕎麦のほうが数十倍、数百倍良心的だ。

 東北道を那須ICで降りて、十七号を那須高原方面に向かうとサファリパークより手前に、左手に大きな民家風で茶色に白地で「めし、喰、そば、うどん」とでかいのぼりの店を見つけても絶対に入るべからず。そこはぼったくり飯屋である。

 ぼったくり飯屋から、十七号をさらに進み黒磯バイパスへでて、しばらく走ると新幹線の那須塩原駅だ。ここからは始発新幹線「なすの」がでているのでらくに座れる。駅前で車をおり義父母にしばしの別れを告げる。最後は大失敗だったが、それを除けばとても快適な楽しい旅であった。旅の快適さはやはり宿で全てが決まるようだ。


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