若い人は年老いてこの世とお別れすることなんか考えないと思います。筆者もかつてそうでしたしそれが普通であり、若いのにあと寿命は何年とか考えるのはちょっと厭世的になっているような気もします。若い頃は人生の終わりなど考えることなく、溢れるパワーで突き進み失敗しては起き上がり突き進むのが最大の強みです。しかし、いつの頃からかふと気づくと人生を逆から数えるようになりました。
きっかけは両親の他界?
親が平均的な年齢まで生きていれば、その子供もそれなりにいい年になっているわけです。
若くして親をなくするととても悲しいと思いますが。60歳を超えて両親を見送ると悲しみはその一時だけで、なによりも「次は俺の番かぁ」という言葉が頭を掠めるようになります。順番から言えば決して間違ってはいないわけです。
だからといって厭世的になっているわけではないです。25歳のときより自分に残された時間とか考えたことはなかったのですが、平均寿命の中間点を折り返して年月がさらに経過し会社を退く年齢になると何かの拍子にふと頭をよぎるようになります。
それが丁度、自分や妻の両親を見送る時期に重なるわけです。
これからの人生で今が一番若い
もちろんそんなことばかり考えているような悲観論者(pessimist)ではなく、筆者はどちらかといえば楽観論者(optimist)なのでこんなふうに考えています。
・これからの人生で今が一番若い
・人生、死ぬこと以外はかすり傷
どちらの言葉もどなたかの受け売りなのですが、結構好きだったりします。
自分の年齢から考えた余命が20年だと仮定すると、健康余命15年程度でしょうか。
15年というと新生児が高校生になるまでの長さがあるわけで、これは自分を振り返るとものすごくとんでもない長さです。15年というと小学校入学してから大学で就活時期になるまでです。これが長くなくてなんでしょうか。
成長して新しい刺激・経験が減っていくと、人は時の流れを早く感じるそうですので、子供時代の15年と老人になっての15年とはわけがちがいますね。
何が言いたいかというと….
・日がなボーっテレビばかりみて刺激なく過ごしているとあっというまに15年経つ。
・常に新しいことにとりくみ、向上心を持ってチャレンジを続けると15年は十分長い。
….のでありますな。
時間は平等
人間は平等であるというのはあくまで理想であって、そんなことは御伽噺ですらないのは子供でも知っています。
しかし全ての人に平等なのは時間の長さです。
だれにとっても1年は365日であり1日は24時間と決まっています。
この唯一平等なリソース(資源)をどのように使うかは個人の価値観次第。
「気づいたら何もしないうちに1年が終わっていた」よりは「実にいろいろなことができて充実した1年だった」というほうが何倍も楽しいです。
何歳になっても目標をもつ
そのためには当たり前ですが、なんでも良いので常に目標を持つこと。
簡単に達成してしまう目標ではだめですし、だからといって50歳を超えてから「宇宙飛行士を目指す」というのも実現不可能です。
努力すれば手が届く目標、それが達成したらさらに頑張って手を伸ばせば届く目標、というように階段のようにしておくと良いと思います。
連続した階段目標でところどころに踊り場を作る。
趣味でもリタイア後のビジネスでもなんでも結構。
ポイントは一つだけ:
若いうちから仕込んでおくこと、60歳になっていきなり何か目標をもってやるというのはかなり厳しいです。