金沢へ行きたいと思った理由
十数年前になりますが、都内から金沢へ行く高速バスなるものがあること知りまして、へえ、金沢か。行ったことないよなぁ、どんなところなんだろう?
と思ったのが、私の心に金沢の種火がともった瞬間でした。
それから時は流れ数年後。
ふと、思い立って、JRのCMじゃないんですが、
「そうだ、金沢へ行ってみよう」
と思って行動に出たのが最初です。
実は、それまでは「おじさん海外一人旅」(このブログのトップメニューから昔のサイトのコンテンツとしてご覧いただけます)と称して、年に一度一人でふらりと海外旅行に行っていましたが、マンションを買ったこともあり海外は自粛。
それに、海外ばかりに目を向けているけど、全然国内をしらないじゃん、って気づいたのです。あほか、お前!って話はありますが、事実なのです。
じゃ、パパニャンは日本が嫌いだったのかにゃ?
いや、いや、そんなことはないよ、遅咲きの海外旅行ファンというわけさ。
そうにゃのか、でも日本も知らなくっちゃというわけだにゃ
そういうこと。
日本は美しい国だからね、見所はたくさんあるから。
マロンもいろいろ行ってみたいにゃ
そんなわけで、国内に目を向けて何度かは広島方面に行っていました。
尾道三部作の舞台となったところを見に行ったり、呉の大和ミュージアムで1/10の戦艦大和の美しさに感動したり…。
そして、「そうだ、金沢だ!」と思い出したわけです。
歴史と自然を知ると面白いのが金沢
前田利家公から始まる
ここで金沢の歴史を説明するつもりはありませんが、前田利家公の金沢城入城で加賀藩の原型がつくられて、以来、加賀百万石とは言われますが台所事情は苦しいのですが、大きな藩になったがゆえに幕府から睨まれつづけ、何かと苦労が絶えなかったようです。
加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)は11代徳川将軍家斉の娘である溶姫を正室に迎えました。当時の加賀藩上屋敷に正室のための御主殿が設けられ、その朱塗りの門が御守殿門であり、現在は東大赤門として知られている門です。東大本郷キャンパスって加賀藩上屋敷跡なんですよね。都内の大学のキャンパスとか大きな公園は、江戸時代の大名上屋敷跡が多いのです。
犀川と浅野川と用水
金沢市には、犀川と浅野川という大きな二つの川が流れています。雄々しい流れの犀川は男川と呼ばれ、ゆったりと流れる浅野川は女川とも呼ばれていると聞きます。
金沢城は二つの川に挟まれた小立野台地の端に構築されています。金沢城や城下に水を供給するために、犀川上流から辰巳用水が引かれ、400年近く前の技術としては目を見張るほどの高度な技術で、約11kmの用水が作られました。逆サイフォン工法なども採用されているのは驚くべきことです。逆サイフォン工法の結果として、現在は兼六園に噴水として残っていますが、あれはポンプなどは一切使わず、当時の逆サイフォン工法の結果としていまだに水を噴き上げているのです。
金沢市内にはそういうわけであちこちに用水があります。チラ見観光では単なる水の流れですが、歴史と自然を調べてみると、先の逆サイフォン工法採用のように驚くべきことを知ることができます。
こうしてはまっていく
このように、金沢(加賀)の歴史や自然について知識をかじり始めると、今まで何気なく歩いていた街中にも多数発見があるのです。
こうなると、3日間の滞在で足りるわけもなく、半年ごとに尋ねてみるようになりました。いくたびに発見があり、また本などを読んで調べてみる。そして次回にその場を尋ねる。この繰り返しです。
こういう旅をしているので、「金沢のどこがそんなに良いの?」と聞かれても返事に窮するわけです。
帰省気分
みなさん、若い頃は半年に一度実家に帰省していた時期があると思います。今、半年に一度、春と秋に金沢にいくとまさに帰省気分です。
もはや、遊びに来たという気分はありません。
ああ、帰ってきたなぁです。
新幹線が通る前から行っているので、新幹線による金沢の街の変化も目の当たりに見てきました。特に地元の方のように毎日見ているわけではないので、半年見なかった間の変化がすぐにわかるのです。
近頃では駅の西側のオフィス街にかなりホテルが増え、香林坊や近江町近辺にも、えっ、こんなところに!というほどホテルが増えました。
しかし、昨今の京都のように年中観光客で溢れるということもないので、まあ、適度な繁盛具合というところでしょうか。とはいえ、観光客増加の影響は避けがたく、近江町市場なんか昔は地元のおばちゃんたちが多かったのが、今は観光客とそれ目当ての蟹など高価な商品ばかり並べる店になってしまい、地元の台所のイメージが変わってしまったのは残念でなりません。
第2のふるさと
ここまでくると、自分の第2の故郷ですね。
故郷の土を踏むと、どこかほっとする感覚がありますよね。
その感覚を私は金沢の地に感じます。
いいね、金沢。