東大赤門と金沢の深い縁

東大赤門と金沢の深い縁

タイトルを見るとぜ~んぜん関係なさそうな両者ですが、東大赤門の場所は江戸時代、加賀百万石で知られる加賀藩上屋敷のあったところなのです。

加賀藩第13代藩主前田斉泰(なりやす)公が、第11代将軍徳川家斉の娘・溶姫(やすひめ…何と二十一女!お盛んだったのですねぇ)を正室として迎えた(加賀藩前田家が将軍家から娘を嫁に迎えるのは深い理由がありましたが、それはいずれまた)折に、加賀藩上屋敷の御守殿門だったのです。御守殿とは当時三位以上の大名にと継いだ将軍家の娘のことであり、その住まいのことをいうそうであります。すなわち、御守殿門とは、大名に嫁いだ将軍家の娘のための朱塗りの門ということです。

話は飛んで金沢城。ここには1949年設立された金沢城のキャンパスが1995年まで置かれており、当時はお城大学とも呼ばれたそうです。その金沢城跡にあった金沢大学の正門は、現在の石川門だったとのことで、東大の赤門と対比して白門と言われました。

現在の石川門(2013年11月撮影)

因みに、お城としての金沢城の正門は石川門ではありません。観光で行くと目の前に兼六園があり周囲が賑やかな石川門が正門のように思えますが、違います。正門はあるところは大手と呼ばれますね。大手町、大手堀(濠)などなど。東京の大手町は江戸城の正門である大手門に近いところなので大手町。

金沢城でも、石川門から中に入って河北門を抜けて新丸広場を突っ切ると、そこに大手門があります。出た所にある堀が大手濠。現在の地名でもこのあたり(KKRホテル金沢のある付近)が金沢市大手町です。

大手堀を黒門口から大手門方向を望む(2016年12月撮影)

ともあれ、ぜーんぜん、関係なさそうな金沢城と東大本郷キャンパスの赤門、どちらも江戸時代の前田家と徳川家、現在の金沢大学と東京大学という不思議な縁があったのです。

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